2008年12月12日金曜日

神戸ルミナリエと東京ミレナリオ

今年も、12月4日から地元の神戸で“ルミナリエ”が開幕しました。
阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂、被災地の復興を願う光の祭典としてスタートして14回目。
今年もたくさんの人が訪れているようです。私はジモティでありながら、あまりの混雑さにうんざりして、殆ど行ったことはないのですが、『きれい』という言葉だけでは言い表わせないぐらい、とても幸せな、あたたかな気持ちになれたような記憶があります。

テレビなどの紹介でも、「ルミナリエの幻想的な光に心を癒やされた。」という人は多いように思います。
しかし、数年前に偶然通りかかった東京丸の内に出現していた『東京ミレナリオ』を見た時、私はショックを隠せませんでした。神戸ルミナリエの協賛企画であると本気で信じようとしたくらいです。
しかし、実際は全く違うものだということが分かった瞬間、ある意味でフリーズしました。神戸ルミナリエの東京移植バージョンである。と言いながら全く同じ企画、そんなんアリか?
神戸ルミナリエはあの大震災で命を落とされた方々や、被害に遭われた全ての人を慰める鎮魂の意味を込めて開催されています。その意義はずっしりと心に響きます。
14年間、毎年光をともし続け、震災の被災者だけでなく、訪れるすべての人に感動と勇気を与えています。12月の始め頃から始まって、クリスマスの前には敢えて幕を降ろす・・・ある意味で商業ベースの取組みをも排除して、採算も非常に厳しいという話も聞いていますが、そんな逆境にも負けずにずっと変わらず照らすべきものを持っているところが特別の意義を持っているはずです。
一方で東京ミレナリオは、毎年12月下旬から翌年1月にかけて東京丸の内(東京駅丸の内~東京国際フォーラム)で行われていた純粋な商業祭典。
1999年から開催されていて、丸の内界隈の通りにイルミネーションを仕立てて、夜間に点灯して美しさを楽しむイベントで、今は東京駅の工事の為に一旦休止しているけど、完全に商業目的のお祭りイベントです。
華やかでにぎやかな都会のアーバンストリートを演出することで、商業ベースを加速させようということ自体を否定するつもりは全くないけど、神戸ルミナリエ同様にイタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と今岡寛和との共同作品という企画自体にも疑問を持つし、アーティストとしての良心さえ疑ってしまいます。

年に一度、神戸の街に光の彫刻として灯がともる意味を、そしてその光の先に見えるものは何かを、もう一度しっかりと考えて欲しい。
出来ることなら、今の企画のままでの再開なら、して欲しくない。

2008年12月10日水曜日

「トロッコ問題」にモノ思う秋の夜長

たけしの平成教育委員会とかなんとかで、いわゆる「トロッコ問題」というのが話題に挙がったそうです。
この「トロッコ問題」の存在は知ってはいましたが、あらためてじっくりと考えてみると実に興味深いものです。

「トロッコ問題」とは?---------
トロッコの線路がある。その上を暴走トロッコが走ってきており、そのまま走ればその線路の先に5人の人がいて轢き殺してしまう。しかし、その前に路線の切替機があり、私はそこにいる。路線を切り替えるとその先には1人の人がいて同じく轢き殺してしまう。さてあなたはどうするでしょうか?

選択肢は3つ。

1.切替機を切り替える。⇒ 1人轢き殺される。
2.切替機を切り替えない。⇒ 5人轢き殺される。
3.見て見ぬフリをする(決断をしない)。⇒ 5人轢き殺される。

つまり5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか、という問題であるといえる。
1.であれば「5人を助けるべきだ」という意見だし、
2.であれば「5人を助ける為に関係ない他の1人を犠牲にすべきではない」という意見である。
3.であれば結果は2.と同じなんだけど、自分で判断することによって自分のせいになることが嫌な人、もしくは判断不能だった人。

更にいえば、「切り替えなかった人が道徳的責任を負うべきか?」という問題でもある。

さて、どう判断すべきなのでしょうか?
一般的に考えると、1.を決断したことによって大きな問題になるとは思えない。
2.を決断することによって、自分のポリシーは貫けるがかなりの批判があることを覚悟する必要はある。
いずれにしても3.のような人ではありたくない。

さて本論ですが、医療の世界では基本的な考え方として、トリアージ(Triage)というものがあります。
人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
つまり、常に多くの効果がある方の処置を選択するというもので、この考え方に基づくと1.を選択することが正しく一般的な判断になります。

色々な問題は交錯するにせよ、ある意味でこの問題はまだ判断が楽な方かもしれません。しかし経営(その他も)などの現場では、同じような判断を迫られることの連続だと思う。誰にでも出来る判断や法律で決まっていることなどの判断はある意味でルーチンなので楽だと言えます。

本当にしんどいのは、結論が出ないことや結論を出せないことに対して最終的に結論を出さないといけない上に責任までとらなければならないことです。

ここからは私が考えた設問ですが、以下のような状況だとどういう判断をすべきでしょうか?
同じようにトロッコが走ってきて、行き先を2つのレールに切り替えられ、そのどちらかをあなたは選択しなくてはならない。そのまま決断しなければ、どちらを轢き殺すか分からない・・・として。

<問題1>片方のレールの先には1人の青年がいて、もう一方には障害を持つ子供がいる場合。
<問題2>片方のレールの先にはおじいさんが2人いて、もう一方には妊娠した若い女性がいる場合。
<問題3>片方のレールの先には2人の子供がいて、もう一方にも2人の子供がいるが、その子供の1人は自分の子供の場合。

その他にも色んなケースが考えられると思いますが、この場合の選択においては判断そのものは難しい選択を迫られるけれど、結果に対しては、道徳的責任を厳しく問われることがあるのだろうか?

翻って全く話題は変わるけど、わが日本国の総理大臣 麻生太郎氏。馬鹿だ無能だとマスコミや街頭インタビューで一般ピープルから言われっぱなしだけど、そう言い切れるほどの簡単な判断ではなく、このような種類の複雑な事情や背景に基づいたことに対して、総理大臣としての判断を迫られることの連続だと思います。
しかも、結果責任を問われるし、どう判断したとしても誰かからはバッシングされてしまう。結局大切なのは、その判断の元となった事情や背景と決断の根拠をいかに分かり易く尚且つ説得力を持って説明できるか?にかかってるんだなあとつくづく考えさせられます。

ここまで書いたところで、ネット上にこの問題に対してパシッと簡潔に核心をまとめた素晴らしいものを見つけたので以下に紹介させてもらいます。ものすごく深いです。社会生活における人間関係の本質を理解する上で欠かせない要素のように思えます。


[日本語版:ガリレオ-高橋朋子/合原弘子]WIRED NEWS 原文(English)  ---------------------------
ある状況下では、1人を犠牲にしてたくさんの人の命を救うことは全く正しいことに思える。一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況もある。道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない。

「興味深いのは、一貫性に欠けていることだ」とハーバード大学の社会心理学者Mahzarin Banaji氏は言う。「われわれは突如としてカント主義的になる場合がある」このパラドックスを何より明確に示すのが、「トロッコ問題」(トロリー問題)という古典的な思考実験だ。
5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。

多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。
しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。
トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。[この問題は「The fat man」と呼ばれるもので、Judith Jarvis Thomsonが提案したトロッコ問題のバリエーション]

この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する、とBanaji氏は述べた。カリフォルニア州パロアルトで10月26日(米国時間)に行なわれた、全米サイエンス・ライティング振興協議会(CASW)の会議でのことだ。[Time誌の記事によると、「5人を救うためでも線路に落とさない」と回答するのは85%にのぼる]

われわれは、1人をトロッコの前に突き落とすことと、トロッコを1人の方へ向かわせることとは、何かが異なるようだと直観的に感じる。
しかし、なぜそう感じるのかは、社会心理学でも神経科学でも哲学でも、いまだ解明できていない。
興味深いことに、この問題の登場人物をチンパンジーに置き換えた場合、人間は躊躇なくチンパンジーを線路に投げ落とす選択をするという。
「自分たちとは異なる要素があると、人間は功利主義[善悪は社会全体の効用によって決定されるという立場。最大多数の最大幸福が目標になる]になる。
しかし、自分たち自身のためには、カント主義的な原則に従うのだ」とBanaji氏は述べた。

[カントの義務論は、功利主義と根本的に異なるとされる。つまり、最大多数の最大幸福による止むを得ない犠牲(他の義務を切捨てた事等)自体は善とされない。
また、善悪判断に関して、功利主義は目的や結果を評価するのに対し、義務論は意志や動機を評価する。義務論では、どんな場合でも無条件で、「行為の目的」や結果を考慮せず道徳規則に従うという形になる。
このような、「もし?ならば?せよ」という形ではない「定言命法」が、カント倫理学の根本的原理]

読者のみなさんはどうお考えだろう? 一見してパラドキシカルな人間の行動は、われわれのモラルの配線が偶発的にショートしたもので、脳が考える倫理にはそもそも恣意的な性質があることを暴露していると解釈すべきなのだろうか?
あるいは、行動のなんらかのレベルにおいては、進化論的に理にかなったことなのだろうか?

[Time誌の記事などによると、fMRI(脳スキャン)を使ったトロッコ問題研究がある。「トロッコを側線に導く形で1人を犠牲にして5人を救う」という場合は、前頭前野背外側部(客観的な功利的判断をする場所)の活動が活発になるが、「5人を救うために1人を落とす」ことを考える場合は、前頭皮質中央(感情に関係がある)が活発になる。
これらの脳の2つの部位のバランスのもとに最終判断が下されるという(Science 293(5537),2105?8, 2001)。

また、医学界新聞の記事によると、腹内側前前頭葉皮質(VMPC:ventromedial prefrontal cortex)に傷害のある患者は、トロッコ問題に対して常人とは異なった判断を下すことも示されている。

VMPCは以前から、同情・羞恥心・罪悪感といった「社会的感情」に関与する領域として知られているが,この領域に傷害がある患者は、例えばトロッコ問題に対して、「多数の命を助けるためには、隣に立っている人を橋から突き落としても構わない」と答える傾向が際立って強いことが明らかにされ、倫理的判断は理性と感情のバランスの下に下されるとする説が一層信憑性を強めることになったという(Nature446(7138),908?11, 2007)]

2008年12月7日日曜日

『IT産業 再生の針路』 破壊的イノベーションの時代へ

『IT産業 再生の針路』 破壊的イノベーションの時代へ

【IT産業 崩壊の危機・続編】 田中克己(日経BP社編集委員) 日経ソリューションビジネス (単行本 - 2008/12/4)

「絶対面白いから」という推薦があったので読んでみました。2007年12月に発行して大反響を巻き起こした「IT産業 崩壊の危機」の続編で発売したてホヤホヤの新刊です。
著者は日経コンピュータ副編集長、日経ウォッチャーIBM版編集長、日経システムプロバイダ(現日経ソリューションビジネス)編集長などを経て、30年近くIT産業の動向をウォッチし続けている人なので立ち位置的にも今、取組んでいるビジネス分野と一致しているのと、同業他社の具体的な名前と、曖昧だけどある意味で具体的な方向性を挙げながら説明しているので説得力がある内容でした。

IT業界に携わる人に向けて、新しい時代を予見する「究極の1冊」というふれ込みです。グローバル化、クラウドコンピューティングの時代を迎え、富士通やNEC、日立はどう動くのか?NTTデータや野村総研の次の一手は?中小ソフト開発会社の生き残り策とは?といったテーマでぐいぐいと切り込んでいっています。
日本のIT産業を取り巻く状況と問題点を明らかにしながら進むべき道を提案する形で展開されて、旧態依然のビジネスモデルからIT産業が抜け出すための具体策を提言しています。
期待したほどの内容ではなかったのは仕方ないなあと言う気はします。
最近、この手の「今後のITの方向性」といったような内容の雑誌記事とか書籍とかをかなり読んでいるのですが、ズバッと「これだ!」的な答えなんかはある訳はないし、期待する方も悪いと思って反省です。

以下が目次ですが、これを見ればどういった内容なのかが大体分かると思います。

【目次】序章 21世紀の新IT産業とは-サービス時代に成長する企業、沈む企業-
第1章 IT産業を取り巻く現実-技術軽視のITベンダー、IT軽視のユーザー企業-
第2章 事業再編に乗り出す大手ITベンダー-グローバルに通用する商品を作り出せ-
第3章 ITサービス大手が取り組む改革-カギは新規ビジネスの創造にあり-
第4章 変革迫られるソフト開発会社-下請けからの脱却へ-
第5章 中堅・中小ソフト開発会社を取り巻く環境-ビジネスモデルを見直し、攻めの姿勢を-
第6章 IT活用の責任はユーザー企業にある-自立したIT部門が経営者を支える-
第7章 技術力の低下で人材育成が急務に-新たな環境作りが求められる-
第8章 IT産業が構造改革に着手する日-技術と経営を刷新し、新しいITサービスを創出-

2008年12月6日土曜日

ジェフ・ベックの最新ライブ版 Performing This Week...Live at Ronnie Scott's

まさにロック史に名を刻む伝説的なギタリストの完全復活ライブ版がリリースされました。
ジェフベックは、高校生時代にはまったギタリストではあるけど、特にジェフベックが聴きたくて買った訳ではなく、西海岸の売れっ子フュージョンドラマーのVinnie Colaiutaが参加しているリズムセクションを聞きたかったのが理由です。
先日の来日コンサートの時にバックでドラムを叩いていたVinnie Colaiutaがとても良かったというのを聞いていました。

しかし、ジェフベック恐るべし!です。一体このオッさんいくつになるんだろう?60歳くらいにはなっているはず! ややジャズっぽいテイストに変化しながら、現代風なトーンやフレージングにアレンジしているので十分に聴き込める内容になってました。
Cause We've Ended As Lovers


この後ろでドラムを叩いているオッさんがVinnie Colaiutaです。


・・・ということで、

聴きたかった本命のVinnie Colaiutaがドラム参加しているウエストコースト系バンドで、David Garfield率いるロサンゼルスの超絶技巧集団Karizmaが2000年にヨーロッパ遠征を行なった際のライブも一緒に買いました。

こちらの方は、なかなか手に入らなかったのと、聴いてみると、ここ最近のCDの中では大当たりだったのとで満足度いっぱいです。

ジェフベックと違って正真正銘の最前線トップバンドです。
このオッさん達、いわゆるスタジオミュージシャンと呼ばれる人達です。見た目はさえないのですが、売れっ子歌手のCDなどではかなりの割合で彼らが裏方としてレコーディングしています。いろんな歌手のCDを作成する時、スタジオで手渡される譜面を初見で理解して、次から次へと録音して片付けていくと言う作業は、ある意味で才能のあるミュージシャンであればあるほどかなりストレスの溜まる仕事のような気がします。
そういった彼らが、職業として演奏するのではなく、自分達の好きな音楽をバンドという形で演奏することはそれほど多くないので貴重だし、エキサイティングです。
↓この演奏も、大枠のテーマ(主題のメロディ)だけは事前に決めておいて、その他はほぼ即興で演奏しています。
Vinnie Colaiuta & Karizma - Nothing Personal


2008年11月29日土曜日

人間の覚悟 (新潮新書) (新書)  五木 寛之 (著)

大御所の直木賞作家 五木寛之の最新刊です。
内容は、特に今のように全世界の経済が大きな下り坂への転換期を迎えている時だからこそ、浮かれた生活から、そろそろ覚悟を決めて人間本来の生活に戻る覚悟をしなければならない・・・と言うもの。
「覚悟」とはあきらめることであり、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめる心構えを持つこと。

これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか?だれもが生き生きした人生を歩めるように、様々な視点から穏やかに語ってくれています。久々に押し付けがましくなく心が休まる本当に良い本に出会いました。

少し抜粋してみます。

どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということは別である。私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。国家は国民のために存在して欲しい。だが、国家は国家のために存在しているのである。


今の時代は、「心の愁い」までも心療内科の対象として心の病にしているが、人生は愁いに満ちているし、人は誰しも愁いを抱ええて生きていくものだと覚悟しなければならない。
たとえば、イチローみたいにないたいと野球少年が夢を追いかけるのはけっこうですが、努力すれば必ず報われるわけではない。実際に世に出る人はほんの一握りの幸運な人でしかないと覚悟しなくてはなりません。あきらめるというのはすごく大切なことです。
人間は一人で生まれ、やがては老いて一人で死んでいくものだということを若いうちに出来るだけ早く、諦めておくべきだろうと思うのです。


これから先の日本は人口が減り、斜陽化し、産業は停滞していくのです。経済成長だ、GDPが世界で何番目だと誇るのではなく、日本人が大切にしてきた精神世界の恩恵と、それが持つ可能性を、あらためて国内にも世界にもメッセージすればいい。
そういうことが大きな価値として歴史に残るのではないでしょうか?
日本のように経済的に豊かな国に住む人が、貧しい国の人々へもたらす結果的なしわ寄せだけでなく、私たちが生きているということだけで、直接的な影響もいろいろあるではありませんか。
暑いの寒いのと年中不平を言いながら、冷暖房を使って快適に過ごす。面倒だからと何でも車を使って排ガスを出している。そこでで自分が悪をなしているという意識は持ちにくいが、現代人はどうしようもなく傲慢だ。しかし、結局、すべての人は動物であれ植物であれ、多くの命を犠牲にして生きざるを得ないといことの意識のかけらをもって、諦めなくてはならない。


人との関わりや友情は長ければ良いというものではありません。世間は「人脈」という言葉が好きなようです。しかし、いつも気の合う者同士で群れることがいいとも思いません。私はむしろ、本当にこのひとと親しくなりたい、あるいはなりそうだと予感した時は、あまり近づかないようにしているのです。一心同体のように親しくなるのを避け、ずっと長く一緒に付き合っていきたい人とは、意識的にある距離を置くようにしてきました。
例えば、妻だから家事をするのは当たり前と期待しない。 子どもは親孝行するもんだとは期待しない。社会や国が 自分を守ってくれるなん期待しない。 虚無的で後ろ向きな考え方だと思われるかもしれないが、決してそうではない。 期待していないからこそ何事も自分でしっかりやろうと思う。はなから期待していないので、期待した結果が得られず腹がたつということもない。期待していなから批判的になることもない。もし、何かいい結果が得られたのならば、期待していなかったから、その分喜びも大きい。 「期待しない生き方」 期待しない・・・と覚悟して生きていくのだ。

2008年11月8日土曜日

ついに選ばれたアフリカ系アメリカ人の大統領  大勝の報道にどうも違和感!

私とほぼ同年代のバラク・オバマ氏が大統領になることが決まり歴史的大勝利ということで日本国内でも大きな盛り上がりを見せています・・が、私はどうも違和感を感じているし、マスコミや評論家の間でも、どうしてもっと客観的なコメントが無いのかがかなり不思議です。

これって本当に「地すべり的大勝利」といえるのか?
確かに結果としての選挙人獲得人数はほぼダブルスコアの大勝利と言えると思う。
しかし、実際に獲得した投票数は、オバマ氏が53%でマケイン氏が46%なので、その差は大勝利とは程遠かったのではないだろうか?
アメリカ合衆国は、東海岸や南部など特に有色人種に対する差別が根本的に根強い。自由な国アメリカとは言えそれはあくまでも建前のことであって、本質的には強い選民意識があると思う。

私の経験から言っても、会社のオフィスを構えていたシリコンバレーなど、歴史的に東洋人やインド人が多いカリフォルニアやロサンゼルスなどの西海岸で差別を感じたことは無いですが、ボストンなどの東海岸では掃除のおばちゃんにまで馬鹿にされてしまう。
こんな国で本当に黒人の大統領が大勝利で生まれるはずが無い!といまだに思います。
今回の選挙で白人が本質的にオバマ氏を選出したと言うこととは程遠いと思う。

今の合衆国の人種構成は、中南米系やアジア系移民の流入で、白人の人口比率は65%程度になっているらしい。
安価な労働力としてアフリカから奴隷船に乗せてつれてこられたアフリカ人に、今や大統領として国を乗っ取られた状況をなぜ白人が許したか?
大勝利ではないにせよ、なぜオバマ氏は白人票をこれだけ取り込めたのか?

確かに、オバマ氏勝利の背景には、公民権運動による制度的な差別撤廃や黒人の社会進出があると思いますが、よく言われているように、父親はケニア人ですが、母親は白人中流階級に育った生粋の米国人なので、黒人隔離政策や絶望的な貧困など、米黒人が背負う歴史的な重荷とは無縁だし、インドネシア、ハワイで子ども時代を過ごし、多様な環境で育った点でも、従来の黒人政治家とは異質だという点で白人票を取り込めたのかもしれません。

しかし、最大の要因は「金融バブルの崩壊」だったと多くの政治家が指摘しています。もしバブルの崩壊が3ヶ月後だったら・・・おそらくマケイン氏が勝利していただろう・・・と。
結局のところ、一部の金持ちが異常な利益を手にして米国のみならず世界中の経済に大打撃を与えている状況は、下層階級はもちろん中流階級の一般白人までもを巻き込んだのでしょう。
人種の垣根を超えた「反ブッシュ」の勢いだったとも言えるのかもしれません。
しかし、世界経済を動かしているのは米国の中流以上の白人です。就任以降、彼らの信任を継続させることはオバマ氏にとって至難の業でしょう。

それにしても、オバマ氏のあの演説! マスコミは絶賛していますが、日本人的な感性からすると引いてしまうのは僕だけでしょうか?
そして、あのようなパフォーマンスで熱狂を表現するアメリカ国民の単一思考性というか脳天気さ! 
君たちの単純思考のおかげで迷惑をこうむっている人達が世界中にたくさんいることを少しは反省して欲しい。

以上、あくまでも個人的な意見です。

忘却の力 ― 創造の再発見 (みすず書房) 外山 滋比古 (著)

NHK/BSの本の紹介番組で大好評だったので読みました。
書評に書いてあることをそのまま紹介すると、

近代社会は知識信仰が根強い。知識は広ければ広いほどよく、多ければ多いほどよいときめてかかっている・・・・・・
実際、若いときはすばらしく創造的であった人が、知識がふえ、経験を積むにつれて力を失っていく例はいたましいほど多い・・・・・・
過ぎたるはなお及ばざるごとし(『論語』)は、知識においても妥当する。
肥満は運動によって解消するらしいが、知識メタボリック症候群において、運動に当るものは、忘却であろうが、忘れることは、散歩などに比べて格段に難しい。
現代の人間にとって、記憶以上に大切なものは忘却である。コンピューターにはまちがっても選択的忘却という芸当はできない。

結構、「目からうろこ」でした。最近はテレビを見てもクイズ番組全盛で、色んなことを知っていないと何だか自分自身が教養の無いダメ人間に思えてきたり、社会全般の様々な情報を頭に詰め込んでキャッチアップしていないと不安でどうしようもなかったり、以前は感じていなかった情報を詰め込むことに対しての脅迫観念が日増しに高まっていたような気がします。
でもこの本ではそんなわだかまりを一刀両断してくれます。情報や知識を詰め込むことは本当に大切なことではない・・・・感じる力、考える力こそが最も大切なことであり、創造の源なんだ!と。
知的肥満をおさえ、頭のはたらきをよくする50のヒント集です。

悩む力 (集英社新書) 姜尚中 (著)

テレビ番組とかにもよく出演している東京大学大学院情報学環教授の姜尚中(カン サンジュン)さんの新刊です。
マックス・ウェーバーと夏目漱石をヒントに、様々なことに対して真剣に悩むことによって、真の強さを掴み取る生き方を提唱しています。
悩む対象としてのテーマが満載で、“「私」とは何者か”,“世の中すべて「金」なのか”,“何のために「働く」のか",“「変わらぬ愛」はあるか”・・・等々。

本書から少し抜粋すると、

「人は一人では生きられない」 自我を保持していくためには、他者とのつながりが必要である。
相互認証によってにしか、自我はありえない。 悩むことはいいことだ。
ただひたすら方程式を覚え、 悩むことを時間の無駄だと割り切り、 最短距離で社会のエリート階段を登り続けるだけの 生き方には、疑問を覚える。
例え苦しくても真面目に悩みぬき、仕事等を通して人とのコミュニケーションを持つこと、そこに生きる意味への意志が宿る。

・・・と言った感じなので、大体中身は想像できると思います。
個人的な感想としては、読み込めば深くて良い本なんだろうけど、少し団塊世代の思考テイストが強いような気がしました。

2008年11月3日月曜日

チャイルド44 上巻 下巻 (新潮文庫)トム・ロブ・スミス (著)

とにかく前評判が凄く、どの書評を見ても最大限の評価でした。早くも今年の海外ミステリー・ベスト・ワンという書評もありました。まだ20代でのデビュー作でありながら、CWA賞受賞ということで、映画化も決まったそうです。

ストーリーは、旧ソ連で1980年代に起きた事件を素材にしています。その事件に対するソヴィエト当局の対応に抗議して、フィクションの形で取り上げたのが、この作品だとのことです。時代をスターリンの時代に変えたこともあり、社会性の高い、非常に優れた小説になっていることは認めます。

ただ個人的には、予想していたストーリー性というか、お馴染みの「不安、緊迫感が、心理サスペンスとして切々と迫ってきて・・・」というものだったのでそれ以上でも以下でもなかったと言うのが本音です。

ただ、そうは言いながらも上下巻をほぼ一気に読み終えてしまわせる力量があることは確かです。時間がある時の暇つぶしにはピッタリかも。

ぼくは猟師になった 千松 信也 (著)

NHKの読書評番組で推薦されていたので読んでみました。著者はまだ33歳と若い。
京都大学卒業後、アルバイト的に運送業に勤めながら、たまたまアルバイト先の職場で、わな猟を35年もやってきた先輩を知り、技術を学ぶ。
毎朝と夕に山に入り、仕掛けた自作の罠を点検。掛かった猪や鹿がいれば、パイプ棒で撃ち殺し、庭で解体・精肉し、友に肉料理をふるまう。余った肉は、保存のために燻製や、塩漬けや干肉、骨スープにして、無駄なく美味しく食べる。

本の内容としては、わなの作り方や仕掛け方、掛かったイノシシの殺し方、さばき方、食べ方を写真をふんだんに交えて紹介しています。
著者の生活は、京都の山に古い木造の民家を借りて、風呂もないような状態だったそうですが、、最近になって庭先に自作したとこのこと。
「地球環境にやさしい生活」とか「エコな生活」とか、ありがちなファッションとしての主張をするのではなく、純粋にそこに山があって動物が生きていて、猟師として動物を狩り、食料としてそれを食べることを自然な行為として(生活の一部の僕自然な営みとして)受け止めているところが面白かった。


こういう生き方もりっぱな生き方です。



2008年10月27日月曜日

橋下大阪府知事 「大阪の教育を考える府民討論会」で大いに吼える。 ~あるニュース報道を見て思うこと。

先日大阪で開かれた「大阪の教育を考える府民討論会」で、
橋下大阪府知事が「体罰容認」ともとれる発言や日教組攻撃で、吠えまくっていました。

あるべき論と権利ばかり振りまわすくせに、自分に課せられた義務に関しては真剣に考えようとしない人が多いことにストレスがたまり気味の自分自身の今日この頃ですが、内容の是非はともかく、溜飲が下がる思いでVTRに見入ってしまいました。

内容をざっと説明すると、
日教組がらみも含めて約700人が集まった会場は荒れ模様で、ある意味で文句言いのプロフェッショナル級の人達の集団を前に「教育日本一を目指す」という橋下知事に対して、「教員の数を増やしてくださいよ」など、ヤジと怒号が飛び交う中、「いい年をした大人なんだから、まず黙って聞きなさい。聞こえないじゃないですか」(会場から拍手)

「私は大阪の行政のトップで教育に責任がある。ところが、一部の職員は一生責任もとらずに公務員の身分保障の中で権利と文句ばかり主張しながらぬくぬくとやっている。どこの会社に、社長の方針に従わない部下がいますか?そんなのがいたら即クビでしょ?」(会場から拍手)

自ら日教組だと名乗る女性教師が、橋下知事が言った「くそ教育委員会とは暴言だ」と批判。さらに、先の中山前大臣の日教組批判を知事が支持する発言をしたことを、「今でもその考えは変わらないのか」と質問したのに対して、子どもたちをこんな先生に任せておけないんですよ」さらに、「中山大臣の発言は正しいじゃないですか。現場をみてくださいよ」(会場から拍手)

また、「なにか注意したりすると、保護者がワーワーいってくる。ちょっとごっつんとやったりすると、やれ体罰だと叫んでくる。こんなことで、赤の他人である先生が教育なんかできない。問題なのはどこまでそれを許すか。家庭なり地域のコンセンサスを形成していくことが大切と反論していた。

日時は違うと思うのですが、その他にも、高校生を相手にした意見交換会のやり取りのVTR内容もおもしろかった。

これも、内容をざっと説明すると、
府の財政再建の一環で断行した私学助成削減をめぐる意見交換で、男女12人の生徒を前に、冒頭から「僕も反論します」と本気モード。

母子家庭の男子生徒が、「中学でいじめにあったため、学力的に公立に行けなかった。」という事情を説明すると、「いいものを選べば、いい値段がかかる。条件を比較して、あなたが選んだのでは?」と一刀両断。
また、他の生徒が、「公立に行ける人数は限られている」との発言には、「保護されるのは義務教育まで。高校からは壁が始まる。そこで倒れた子に対しては、最後は生活保護がある」と反論。

バトルはさらに盛り上がって、「高校は誰でも入れる仕組みになっていない」とまで。
これらの発言に対して、高校生から「世の中の仕組みがおかしいんじゃないですか?」と意見が出ると、橋下知事は「僕はおかしいとは思わない。やっぱり16(歳)からは壁にぶつかって、世の中を理解する必要がある。今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってはくれない」
さらに、高校生から「それはおかしいです!」と意見が出ると、橋下知事は「それはじゃあ、あなたが政治家になって国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」とまで言い切っていました。

そのVTRの後での各コメンテーターの発言を私なりにまとめると、
・教育をはじめ、何にでも金がかかる。⇒ 当然の事
・質問する高校生側に知識がなさすぎて話し合いになってない。母子家庭で生活苦しいとかいってるのに私学に行く意味もわからない
・どうしようもなくなると泣く女子高校生はうぜえ。
・ちなみに橋下知事は、は私学助成全廃するとはいってない。本当に苦しい貧乏な家庭には助成金を残してる。あの女生徒はわかっててかみついてるのか?
・討論の様子を見たが明らかに勉強してなくて公立いけなかった高校生だとすぐ分かる。正論も馬鹿には通用しないってことか?

・・・・ごもっとも、理路整然とした成り行きでしたが、なんともまあ、ギスギスした社会になったものです。世直しの為にも、どこかで割り切って感情論を断ち切らないといけないということなのか?私は大阪府民ではないですが、高校生にやり込められるような知事じゃ情けないですが、ここまで論破しなければならなかったのか?という大人げのなさは残りました。

もちろん、「大阪の教育を考える府民討論会」の方は溜飲下がりました。「権利の主張に対しての義務・代償としての真摯な業務遂行」はコインの裏表ですよね。

2008年10月18日土曜日

ニューヨーカー短編集と短篇ベストコレクション現代の小説2008 (徳間文庫 )

2007年度に発表された日本人作家の短編の中から、日本文藝家協会が選んだベスト短編を21作品アンソロジー的にまとめたものです。
かなり有名な作家が多いのと、いろいろなテイストの小説が読めることが魅力のベストコレクションとあるだけにかなり期待をしましたが、かなりの失望でした。
多分このアンソロジーに偏りがあるからだとは思いますが、日本の作家の短編のレベルの低さにガッカリです。
「ニューヨーカー短編集」のような洒落た都会的なウイットを求めるのは厳しいのかもしれないですね。

有名どころで言うと、石田衣良、恩田陸、大沢在昌、山田詠美、桐生典子・・・石田衣良は、デビュー作の「池袋ウエストゲートパーク」はかなり読み応えがあったのに、その後の作品の「スローグッドバイ」「1ポンドの悲しみ」あたりになると、なぜか急に女々しい作風になって、「あ~、もうついていけない!」的な作家になってしまいました。
同様に恩田陸も、「夜のピクニック」はとてもいい作品だったので期待したんですが、これもまた才能を感じられないものでした。
もちろん、山田詠美も期待したんですが・・・。
・・・ということで、期待はずれのアンソロジーでした。

ニューヨーカー短編集

個人的には史上最強の短編集。
1925年に創刊された雑誌「ニューヨーカー」に掲載された短編小説を3巻に分けて収録したものです。収録されている作家は、その後のアメリカ文学史に欠くことのできない重要な作家のデビュー当時だったり、アメリカ文学を学んでいる人や好きな人しか知らないような作家だったり。
ある意味でアメリカ文学全体を俯瞰できる金字塔的な短編集といっても過言ではないと思う。
中でも白眉は、夏服を着た女たち/アーウィン・ショウ( Irwin Shaw)洗練された都会小説の名手です。

2008年10月14日火曜日

史上最強の人生戦略マニュアル ?


史上最強の人生戦略マニュアル フィリップ・マグロー (著),
勝間和代 (翻訳)

何故か知らないけど、ここのところ超売れっ子になっている経営コンサルタントの勝間和代さんが翻訳した「史上最強の人生戦略マニュアル」を読んでいます。書店の店頭に平積みされてました。
日経ビジネスの書評で「いわゆる自己啓発のカテゴリではあるが、社会心理学を学術的なバックボーンにしたドライな視点が新鮮で斬新」というふれ込みだったので手にしてみました。
結構ボリューム(400ページ以上)があって、中だるみしましたが、冷静な第三者的視点からの人生の指南書としてとてもいい内容でした。普段、この手の本は殆ど手にしない(興味ない)のですが、ある意味で素直に受け入れました。キャッチフレーズは、「人生には戦略があり、自分の視点で正しいことであっても、待っているだけでは何も解決しない。 」といいうものです。

自分が「正しい」と思うことだけを実行しても、人生はうまくいかない。
でも戦略を身につければ、理想の生活に近付けるかもしれない。 袋小路に見える人生に、希望の光が射してくるかもしれない。

訳者の勝間和代さんですが、最近テレビでも良く見かけますし、著書も売れているようです。個人的には「押しが強く、濃い」印象があります。著者じゃなく訳者で少しは救われましたが、著者がこの人なら、先入観でアウトになったように思います。
関係ない(かも)と思いますが、既に二度の離婚を経験しているそうです。2005年にウォール・ストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれたそうです。日本人的感性からするとちょっと脂っこい女性です。

2008年10月3日金曜日

歴史に学ぶ? 日経新聞「私の履歴書」 野依良治

「歴史に学ぶ」というキーワードを幾度となく目にし、耳にしてきましたが、僕が理解しているその意味は大体次のようなものだと思う。
先人が苦労し乗り越えてきた、あるいは挫折した苦難の経験から導き出されたある種の確信に対して、多くの人達はあまりにも軽視し過ぎているのではないだろうか?
つまり、連綿と繰り返される歴史的な事象のサイクルの中で、過去の歴史から学ぶべきものはたくさんあるはずなのに、なぜその貴重な教訓を未来への経験則として適用することが出来ないのだろうか?といった文脈になります。
例えば今回の米国経済の急激な失速に対する様々なコラムの中で、次のようなものがありました。
投資家にとって、最も損失を広げてしまう思考キーワードは「今回は違う! This time is different.」であるというものです。
何となく言いたいことはイメージできます。既に経験したものであっても過去の教訓を活かすことが難しいのに、経験したことのないことに対しての教訓を教訓として素直に受け入れられる人こそ、本当の意味で大きく成長できる人なんだろうなあと思います。
それ程歴史がない我々が属するITの業界でさえ、技術的なトレンドにサイクルは確実にあります。そのサイクルトレンドに対して、「今回の技術は全く違う革新的なアーキテクチャだ!」と思い込みたい気持ちは若い世代ほど旺盛だと思います。しかし、そこで先人の貴重な教訓を経験則として素直に取り入れられる人こそ大成するひとだと私は確信します。

話しは大きく逸れますが、日経新聞の最終ページに「私の履歴書」というコーナーがあります。
毎回、著名人が自分自身の半生を伝記風に語るもので、毎日掲載され、一ヶ月で完了します。従って、面白い人とそうでない人が出来てくるのですが、面白くない人の場合の1ヶ月間はあまり読む気になれません。9月は、野依良治さんというノベール賞を受賞した科学者だったのですが、申し訳ないのですがはっきり言って全く面白くありませんでした。
しかし、9月30日の最終日に掲載された内容は、とても胸が熱くなる名文でした。まさに辛酸を舐め、苦難を克服した偉人が語るからこそ響く言葉です。

野依良治 -------------------------------------------

70年前に日本に生まれた。半世紀にわたり自然科学を学び続け、教育と研究、また科学技術の世界に身を置いてきた。
多くの方々の指導と支援をうけ、実社会で経験を積みながら活動を続け、今日の私がある。先進欧米諸国と発展するアジア諸国の様々な側面を見る機会も得た。
志を抱く若者の本質は変わらずとも時代は移る。わが国は半世紀の間に経済大国たる目標を実現した。しかし、グローバル化や情報技術を含む著しい技術革新、女性の社会進出、少子高齢化、都市化や過疎化に伴う社会環境の激変によって、大人と子供、青少年の双方の行き方や価値観は大きく変容した。さらに経済効率偏重主義の蔓延による精神のゆがみは、多くの人が憂慮するところだ。

私自身、美しい自然と四季に恵まれた日本に生まれ育ったことを本当に幸せに思う。長年にわたって培われてきた文化は、誇りであり心のよりどころである。温故知新、次世代を担う若者も我々がどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、自ら確認の必要があろう。人間形成には、家庭における子供の確実なしつけと徳育が大前提だ。責任を持ってお願いしたい。

戦中戦後の我々の幼少時代は本当に貧しかった。両親達から衣食住に関わる様々な事柄を習い、日々の生活を通じて実践し、家庭の一員としての責任感を培った。学校や地域社会からは、多用な友人達との関わりの中で社会規範、公徳心などを学び、社会に生きる術を身につけていった。そして我々の世代はどの国の人達よりも勤勉に働き、先人が築いてきた礎の上に豊かな文明を作ってきたとの自負を持つ。よき伝統とは継続に宿る本質である。
日本人が持ち続けてきた「かけがえのない」価値を是非若い世代に伝えたいと思っている。くわえて時代に応じた革新も必要だ。たとえば明日にいかなる世界が開けようとも、常に健やかな心を養い、まっとうな自然観と人生観をもって生きてなければならない。芸術や文学と共に、自然科学はこれを大いに助けるものであると信じている。

人々は皆、自律して豊かな人生を送りたいと願い、それぞれに知性と感性磨き、技術を身につける。しかし、立場の違う多くに人と対話し、理解しあい協調することなく生きてはいけない。節度ある行動は個人や法人団体のみならず世界中の国家にも求められる。極端な競争主義から協調主義に移行せずして、人類の存続も保証の限りではない。
今こそ二十世紀の軍事的、経済的統治ではない「文化的統治」が必要だ。現代、なにゆえに日本の国際的存在感が薄いのか。
我が国は国柄を依り明確に定め、日本人の価値観、思想の正当性をグローバルに発信、流布して理解を求めなければならない。四方を海に囲われた日本は、世界に開かれた国である。新しい世紀にふさわしい展望を持ち、他の国々と手を携え、広く人類社会に貢献する国をつくろうではないか。全ての世代の奮起を期待している。

2008年9月22日月曜日

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫 )


またまた日中近代史にからむ本を手にしてしまった。
個人的は、特に歴史物が好きなわけではないし、戦争物が好きなわけでもないし、近代中国史(日清戦争~日中戦争~第2次世界大戦あたり)が好きなわけでも、興味があるわけでも全くなかったけど、ここのところ何故か好奇心をそそるテーマが続々と発表されています。
その理由は、(あくまでも個人的な意見ですが・・・)この5年間で経済的にも文化的にも企業レベルでも中国との交流が圧倒的に深く熱くなった来たことに加えて、今まで日本国内でもタブー視されていた中国関連の歴史事実の隠蔽(または誤認)に関して、かなりオープンな情報公開が進んで議論が盛んになってきたことがあるように思います。
そんな背景もあって、中国に関連する様々な書籍に興味を持つ人が増えてきて、それに伴って書籍自体も売れるようになっている・・・ということなんだろうなあと思います。

それでこの「阿片王 - 満州の夜の霧」ですが、日露戦争後、日本が実質的に支配していた中国東北部を満州国として傀儡政権を樹立し、日中戦争を経て日本が太平洋戦争へと向かい、破れていくまでの歴史的な過程の中で、日本国政府が軍費そのものを捻出する為に、中国国内で阿片の流通を取り仕切り、何十万人という中国人を阿片中毒に落とし入れることによって殆どの戦費を獲得していたという疑うことの出来ない事実をノンフィクションとして描いています。
当時の軍隊、関係者、GHQまで含めたすべての人が 隠匿し抹消しようとしてきた「陰の歴史」です。こんな内容だと、少し前なら発禁にはならないまでも、反論と中傷の嵐になったと思いますし、何よりも書籍自体が売れないでしょうねえ。
主人公は里見甫という人物で、一般人でありながら軍関係者や政府関係者に操られ、「阿片王」として闇の中国に君臨した人物です。阿片取引を軸に、里見甫の他に甘粕正彦、東条英機、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫など、満州にうごめいた人脈図を描き出しています。
ホント、この時代の日本を取り巻く世界の列強と中国の位置付けは、数年前までは殆ど知識のなかった僕にとっては驚きの連続でした。

リーマンショック・・・?

経済学部出身ではありながら、取り立てて経済のことを語るだけの知識のない僕にしても、やはりリーマンショックのインパクトは大きかったので僕自身のこんがらがった頭を整理してみました。

朝のニュース番組の『朝ズバッ!』でみのもんたが、「分からないですネ~。リーマン・ブラザーズは助けない、AIGは助ける」先日は、リーマン・ブラザーズを切り捨てた米政府を褒めていたみのもんたが今朝は盛んに首をかしげていた。

---- う~ん、確かになぜだ?

元宮城県知事の浅野史郎が、この疑問に答え、「影響の大きさですよ」と次のように解説した。「AIGは、サブ・プライムローン関連で経営難に陥っている金融機関への『保険』を引き受けている最後の砦。このAIG が倒産したら全世界的な大恐慌になる。その違いですよ」。
この『保険』とは、AIGが各金融機関と契約しているクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)。投資家が購入した金融商品が債務不履行になった場合に、元本を保証する金派生商品の一つ。AIGは、サブ・プライム関連の証券化商品の『保険』として力を入れ、CDS市場の大手になっている。そのAIGが破たんした場合は全世界の金融機関に致命的な打撃を与える恐れがあった。一方、証券会社であるリーマン・ブラザーズの影響は限定的と見たのだろう。 ---- 「大きすぎて、つぶせない」典型的ケースだそうです。

・・なるほど。

大手4社の1つだった山一証券廃業(1997年)の影響が一時的で、とっくに過去のものとなったしまった例を見たらそうかなあ?とは思うけど、それでも、リーマンブラザースは日本の証券会社最大手の野村證券の10倍近い規模があるじゃなかったっけ?

ただし、AIGの経営危機は、一時的に回避されたということであって、経営安泰ということでは決してないようで、その辺の事情を再び浅野氏が説明していた。

「FRBの貸し出しですから、2年以内に返済しなければいけない。2年間で、ショックが大きくならないように整理しなさいということで貸している。向こうの新聞は『安楽死』と言っていましたよ……」。
AIGは、日本でもアリコジャパンやAIGスター生命、AIGエジソン生命のほか、AIU保険、アメリカンホーム保険などの損保を展開していて、生保3社の保有契約件数は1000万件を超えるそうです。 ここ1、2年連日のようにテレビでCMを流し、電話による勧誘もものすごかった。この勧誘攻勢で保険契約した人は、しばらくAIGの動向から目が離せないんじゃないだろうか?

---- もう少し角度を変えると、もうちょっと違った見方もあるようです。

日経の記事によると、リーマンブラザーズの上位大口債権者 30 件中の 9 件までを日本の金融機関が占めていて、日本の金融機関によるリーマンブラザースへの融資総額は合計で 16 億 7000 万ドル ( 1700 億円 ) にものぼるそうです。それ以外のものも含めると 『 リーマンへの融資や関連デリバティブ(金融派生商品)取引、株・社債などへの投融資の総額は4400億円超。このうち担保や損失回避のためのヘッジ取引などで保全されていないのは2300億円以上に達する 』 との事で、リーマンブラザースの破綻によって日本の各企業が受けるダメージもかなりのものになる・・・、という事がわかります・・・。でも、額そのものは以外に大したことはなかって良かったですね。
ただ、したたかな米国政府は今回のツケを米国債というカタチにして日本に押し付けてくるというのが大方の予想だそうです。 昨日のサンデープロジェクトの中で、ほぼ全員のエコノミストが、今の日本は確実に下り坂にさしかかっていて、今年からの3年間は大きな景気後退!と断言していました。
しかしながら、日本という国の、国自体としての、国力というものにはまだ余裕がある事も事実なので、問題なのは、その下り坂にさしかかってはいるけれどもまだ余裕のある今この時にどういう選択をして一体どの方向に舵を切るか・・・、という判断をする事なのだそうです。

不気味なのは、AIGへの米政府救済措置表明でも、株価は結局1日しか持たなかった。なんだかロシアもおかしい・・・。

2008年9月6日土曜日

北京オリンピックの閉会式で見たJimmy PageとアンプラグドなJackson Browne

北京オリンピックの閉会式で70年代のハードRockの金字塔を打ちたてた伝説のRockバンド「Led Zeppelin」のギタリスト「Jimmy Page」がまだまだ若い姿を見せていました。
Erick Clapton, Jeff beckと並んで3大ギタリストと言われていたけど、・・・やはりもう終わっている。と感じるのは僕だけじゃなかっただろう。
今のミュージックシーンでさすがにハードRock的アプローチはかなり退屈な音にしか聞こえなかった。
「みんなノッてるかい?エンジン全開で行こうぜ!」と言われても、かなり引けてしまいます。
当時ティーンエイジャーだった僕をあれほど圧倒的に熱狂させたのに・・・、逆に不思議なことに、当時はそれ程響かなかったけど、それから30年経ったこの歳になってググッと強くひき付けられるミュージシャンもいます。
当時からかなりアコースティックなアプローチをしていた「Jackson Browne」「Neil Young」「James Taylor」など。当時のLPレコードがCD化されているので、今さらながらコレクションしたりしてます。そして彼らに共通しているのが、今でも現役で頑張っていることと、下手に新しいテイストを取り入れて今風のサウンドに迎合して音を作ろうとせずに、全く逆のアプローチで、当時の曲をアンプラグドによるさらにアコースティックなサウンドで取組んでいるところです。
これは一体どういうことだろう?当時は聴き流していたサウンドが、今はこれほどまでに迫ってくるのはどうして?
多分、今の社会を取り巻く環境の変化が当時以上にこういったサウンドを要望しているような気がします。「ノスタルジー」というのとも違って、どちらかというと「原点回帰」的にもう一度本来あるべきものに素直に耳を傾けてみようというメッセージをみんなが潜在的に求めているのかも・・・。

↓録画自体は、それ程新しくないですが、Jackson Browneです。 今もまだ、こういうアプローチを続けています。
http://jp.youtube.com/watch?v=UHoWsrECE6w

↓これは更に若い時のNeil Young
http://jp.youtube.com/watch?v=FxGcAm0EkTU

↓これは当時のJames Taylor
http://jp.youtube.com/watch?v=7vY1peG8gHQ

当時も良かったと言えば良かったけど、現代とのコントラストの中で聴くこのメッセージにはインパクトがあります。
喧騒の時代を通り過ぎたところで求められている音楽と、これから喧騒の時代を迎えようとしている国が求めている音楽とは違うのか?というところまで言うと言い過ぎですかねえ?

2008年8月30日土曜日

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)


村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹の作品はほぼ全て発売と同時に読むくらいの大ファンですが、いくつかの企画モノに関しては読んでいませんでした。この対談もその部類なのですが、河合隼雄と言う人は、分析心理学(ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られていて、日本におけるユング心理学の第一人者です。(去年亡くなられました。)

読んでみると結構面白かったです。対談なので深い内容にまでは踏み込まないのですが、例えば、

夫婦というのは一種の相互治療なので、相手を理解しようと思ったら、理性だけで話し合うのではなく、井戸を掘らなければならない。つまり、地味でしんどい苦しみを共有しなければならない。愛し合っている二人が結婚したら幸福になるという、そんな馬鹿な話はない。そんなことを思って結婚するから憂鬱になるんですね。何のために結婚して夫婦になるかといったら、苦しむ為に井戸掘りをする為なんだというのが結論なんです。
自分は不幸だ不幸だと嘆いてまわりに迷惑をかけるくらいならさっさと離婚したらいい。それと、何度も結婚する人は井戸掘りを拒否している人なんですね。そういう人は、しんどくなると井戸を掘らないで、あちこち別の人を探しているけれど結局、同じような人を相手にしていますよ。

アメリカ人の夫婦なんかを見ていると、一緒にいる間はすごく仲が良くていつもベタベタしているけれど、別れるとなると、子供がいようなどうであろうが、パッと別れる。それは、自分達の関係がどこかで本物でないという意思があるから意識的にベタベタしていないと不安で仕方がない。

・・・う~ん。深い!かと言って、世の中を達観して儚んでいるわけでもないところがご立派。河合隼雄さんが発言するからこそ許されて、尚且つ深みがありますね。いわゆる重症患者さんを相手にした「心理療法&セラピスト」の大御所です。
ちなみに、ここで出てくる「井戸掘り」は、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の物語に出てくる一種のキーワードです。

2008年8月23日土曜日

「日経プレジデント」特集 プレゼン術/トップの証言



「日経プレジデント8月号」の特集にプレゼン術 トップの証言「なぜこの提案にGOを出したか」がありました。
いまやビジネスを取り巻く仕事は全てプレゼンテーションの連続でこの技術の優劣によってスタートラインに立てるかどうかが決まるとも言えると思います。もちろんスタートしてからが最も重要であることには違いないですが、スタートラインに立つことすら出来なければ何も始まらないことは言うまでもありません。営業、技術とういう区別なく、社内向け顧客向けという区別なく、必須のビジネススキルと言えると思います。

■トヨタ自動車 渡辺社長「A4一枚主義を貫け!」
緻密な数字を積上げたデータをベースに報告するのもいいけれど、明確な論理の組み立てで整理され尽くした提案をして欲しい。

■ソフトバンク 孫社長「1000通り考えろ!」
1000パターンを考えるということは、あらゆる前提条件を想定し様々な展開を考えなければならない。孫社長は、文字の色やグラグの形などの細部まで突っ込んで指摘する為提案者はサンドバッグ状態でボコボコにされるそうです。

■伊藤忠商事 小林社長「目をそらさない覚悟」
プレゼン用の書類なら、今は新入社員でも立派なものをいくらでも作りますから、GOを出すかどうか、書類を見て判断することは殆どなく、その人の情熱とパッションを見る。

その他にもキヤノンの村瀬社長、花王の後藤会長、スズキの鈴木会長などそうそうたる方々の記事が載っていました。いずれも選択する方の立場の人から見た意見ですので、それぞれに視点と考え方は違うのですが、共通して言えるのはプレゼンする方は必至に中身を考え抜いているということです。
顧客に対してのプレゼンなど、対外的なプレゼンに必死になるのは受注競争の突破口ですので当然のように思えますが、社内に対しての様々な企画プレゼンなどでも必死になってやっているんだと思います。社内であっても、新しいサービスの立上げであれば、それは顧客に対してのプレゼンとほぼ同じ意味合いを持ちます。
大企業であれば、優秀な人材の宝庫ですからまずは社内での競争に打ち勝っていくところからのスタートなんでしょうね。

2008年8月20日水曜日

日経コンピュータの名物記事 「動かないコンピュータ」

今、日経コンピュータの中に毎号掲載されている「動かないコンピュータ」記事の総集編を読んでいます。それぞれの事例はそれぞれなりに興味深く読んでいるんですが、根底に流れる通奏低音のようなキーワードがあります。それは、困難や不満に直面したエンジニア達が、それから逃れる為に、様々な理由を見つけて何かに責任転嫁したり、現場から逃げてしまうと言うことです。システムをめぐる物語においては、そこで終わってしまったものが「動かないコンピュータ」ですね。しかし、困難に直面しながらも成功とは言えなくても完成するシステム開発の事例もたくさんあります。多分、その物語の中には必ず「逃げない人」がいたはずです。世の中には、「不満ばかり見つけて逃げてしまう人」と「自分の尊厳をかけて逃げない人」がいます。
J.F.ケネディの有名な演説にこんなのがありますよね。

And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you、ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you,but what together we can do for the freedom of man.

「わが同胞のアメリカ人よ、国が自分に何をしてくれるのかを問うのではなく、自分が国のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の市民よ、アメリカが自分に何をしてくれるのかを問うのではなく、自分が人類の自由のために何ができるかを問うことにしよう。」
民主主義の原点が聞こえてくる素晴らしい演説です。このケネディさんは、やっぱり偉大なリーダーです。他にもこんな話しがあります。

ケネディが人類を月に送り込む「アポロ計画」を立案するあたって世界トップレベルの科学者を招いてその可能性について質問した。科学者達は口を揃えて無謀な計画に反対した。理由は次の二つ。

第一には現在の燃料では月から地球まで行って帰ってくるとその総量は膨大になり、それを積み込むための燃料タンクはロケット本体より遥かに大きくなってしまい、その自重では到底大気圏を脱出することができない。

第二には大気圏に再突入する時に発生する莫大な摩擦熱に耐えうる外壁素材が地球上には存在しないということだった。

科学者達が出した結論を静かに聞いたケネディはこう言った。「科学者のみなさん、われわれは月に行くことに決めたのです。もし地球上にそのような燃料や素材がなければ、それを創り出すように私はあなた方に依頼します。」

人づてに聞いた話なので真偽のほどは定かではないですが、この話し自体が素晴らしいという気はさらさらないです。ただ、私は難しい仕事に直面するといつもこの話を思い出します。困難なことに直面した時、できない理由などたくさん出ると思う。いくらでも作り出すことができると思う。そして困難なことに直面した人にとってそれは当たり前だとも思う。しかしそれでは月に行くことはできないのだ。多分、いつまでたっても少しの前進もできないと思う。
月に到達するには、後から後から溢れ出るできない理由をかなぐり捨て、ただ可能性の見地から現状と向き合う勇気と情熱が必要になるんだと思う。
地球から月を見ながらできない理由を数えるんじゃなくて、月から地球を見る「ビジョン」と共に実現する為の苦労の階段をつなぎ合せていく為の気の遠くなるような努力が必要になるんだと思う。「ビジョン」をただひたすら信じて実行する。
それを達成できた時、その人の世界が広がるし、それに向かって努力している姿そのものが人間の尊厳だと思う。
NHKの「プロジェクトX」に登場した人達もこういう種類の人間でしょう。
結果として成功を納めることが出来れば、なおさらHappyですが、その過程を貫ける品格と人格が人間としての価値を決めると言う価値観をもてる人でありたい。

2008年8月9日土曜日

練習キツイ!

8月16日のライブの前に13日の夜に音合わせのリハーサルをすることになったのですが、それまでに何とか音だけでも取っておこうと思って頑張っています。・・・・が、何十年も殆ど楽器に触ってなかったんでかなり苦戦してます。仕事から帰っての深夜自宅での1人の練習と言うのはアルコールも入って、ほぼチンドン屋状態になっています。

考えてみればほぼ30年近く前の若かりし日々の情熱溢れる演奏を、この歳になって再現しようとすること自体無謀ですね。棄権するなら今かも・・・。

どんな曲なのか聞かせて欲しいというリクエストもあったので、その当時(1981年頃かな?)に作ったオリジナル曲で、神戸のチキンジョージでのライブ演奏の録音を1曲ご紹介します。もちろん、今のようにデジタル修正編集も出来ないライブの1発録りなのでかなり荒い演奏ですし、おまけに微妙に音も外していますが、熱いモノだけは、今でも結構イケてるなあ~などと思ったりして。

あのまま続けてたら今頃は・・・?です。

http://jp.youtube.com/watch?v=A2UMdI5MO80

↑今度、この曲やるんで今練習中です。

2008年8月2日土曜日

少しだけ、「バンド再結成!」


学生時代に結成していたバンドが、1回限りのライブで再結成されることになって大変です。


このバンドは、アメリカンロックとかフュージョンとか、バラバラで活動していたメンバーが、分かり易くて聴き易いJ-Popのはしりみたいな音楽をやろうと言って結成されました。考えてみれば30年近く前にこんな音楽は日本にはあまりなかったです。(←自画自賛)

当時は色んなライブハウスに結構出ていましたし、いくつかのコンテストとかにも出て、メジャーどころではヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)で、大阪地区のグランプリなんかもいただきました。(←これもかなり自慢気味ですね)

その後、卒業と同時にメンバーはそれぞれ、社会人となったり、高校の先生になったり、プロの音楽家になったりで、一緒に音を出すことは一度も無かったのですが、 8月16日(土)に大阪のライブハウスで3曲だけゲスト出演することになりました。担当はベースなのですが、当然のことながら、ながらく触ってないですし、弾けるかどうか?よりベース本体のコンディションの方が心配でしたが、まあなんとか音は出せそうです。
当日の模様はまた別途YouTubeで・・・。


2008年7月26日土曜日

思わず「ほんまかいな?」と言いたくなる「天皇の金塊」


 当社に投資して頂いている投資会社の役員さんから「面白い本なので絶対に読んで欲しい。」 と言われて、早速買ってみました。
この本を薦めてくれた方は、大手の証券会社からキャピタリストに転身し、
富裕層の資産家の方々とのお付き合いが深く、日本の社会の裏側に脈々と流れる「得体の知れない何か(人脈というか血脈というか・・・)」に薄々と気付いていたけど、多分こういうことなんだろうなあということが何となく分かったと おっしゃっていました。

内容は、

太平洋戦争中に、日本軍が中国や東南アジアから略奪した(半端じゃなく)莫大な金塊が、今でもフィリピンに残っていて、その金塊を基にして日本の戦後復興がはじまったと。

戦後の高度経済成長は、この金塊を信用保証にしたマネーを前提に、田中角栄が、
土地収用に関わる資金調達で償還金を引き伸ばすという錬金術によって産み出されたもので、田中は、手にした莫大な資金で官僚を懐柔する一方で、支持者にカネをばら撒き、日本の政治を、完全に金権政治に仕立て上げた。

また、このマネーを管理運用する黒幕は昭和天皇の一族で、
その後もバチカン系の金融機関で運用されたし、
フィリピンのマルコス大統領の失脚の真相もこの金塊にあった。


その他にも「Mマネー」に関することなどが書かれていますが、
胡散臭いのか真実なのかの狭間にゆれる微妙な内容がスリリングではありますが、
文体や表現力、言い回しなどは、個人的には全く好きにはなれませんでした。

真実かどうか?と言う点では、
しかるべき方の書評を見ても、かなりの部分に信憑性がありそうです。
確かに、世界を見ても、ロスチャイルドやロックフェラーの築いたマネーを中心に
世界のマネーは運用されているし、
フリーメーソンの人脈は今でも大きな影響力があると思います。

そんな中で、日本でも天皇一族を中心に莫大な蓄財がなされており、
それを中心に日本の経済が裏の社会の推進力となって展開されているというのも
ある意味で納得できました。

話しは、投資会社の役員さんに戻りますが、
その方は、こんなことも言っていました。
今、大分県で職員採用に際しての裏口採用で大きな問題になっているけど、
こんなことはどこの県でもやっているだろうし、
例えば、その際に支払われる謝礼金も公になっているような金額ではなく、
1人当たり1000万円は下らないだろ・・・と。
考えてみれば、例えば1000万円で教員(もしくはしかるべき公務員)として採用してもらえるのなら、仕事を一生懸命やる気が無いような人にとってみれば、
コネさえあれば借金をしてでもお願いしたいことだと思えます。

企業にとっても、
例えば1億円の政治献金で、それ以上のビジネスリターンが見込める裏工作なら
何とかお願いしたいと思う経営者も多いのではないでしょうか?
そしてそんなことは、普通に考えてもかなり当たり前に行なわれていると考える方が今の社会情勢なら正常な思考なのかもしれません。

口では奇麗事を言い、それを一般消費者に信じさせておきながら、
裏ではお金の為なら何でもやってしまう。
そんな企業ばかりじゃない!と思いたい気持ちは分かるけど、
資本主義の市場経済に身を置く以上、この原則からは逃げられない。
それが世界のグローバルスタンダードだとその方はおっしゃっていました。

「理想を追求する。」とか「社会に貢献する。」とか言いながら、
「お金儲け」が出来ないと誰も幸せにならないというのが真実かもしれません。
特に、我々のような小さなベンチャー企業にとっては。

2008年7月19日土曜日

「アジアで最も豊かな国」から転落した日本・・・どう思う?

大前研一:「アジアで最も豊かな国」から転落した日本

IMF(国際通貨基金)がまとめた調査によると、
2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになったそうです。
世界で見れば1994年には一人あたりGDPで日本は世界一で、
一昨年に17位に、そしてついに昨年の実績で22位に転落ということのようです。
もちろん為替の影響もあるので単純に言うことは出来ないです。
ただ、GDPの総額ではまだまだ日本は米国に次いで世界第2位の経済大国ですが、
これも、今のペースでいけば日本がGDP総額で中国に抜かれるのは3年後(2010年の数値)だそうです。

日本では、このことはほとんどニュースにもなっていないし、危機感がまるでないように思います。
政府の方も都合が悪いのであえて危機感をあおることはしたくないのかも知れません。
国別のGDP総額というのではなく、やはり一人あたりのGDPというのが、
その国の豊かさの指標だと思えるのですが、一概にそうでもないのかなあ?と思うのは、 例えば中国は、一人当たりのGDPは非常に低いのですが、人口が多い分、国としては当然上位に来ます。
でも、よくよく考えてみると、日本では社長も平社員も給与の差は非常に小さいけど、
例えば中国のように、搾取階級と被搾取階級(労働者階級)が明確に分かれていると一人当たりのGDPは低くても、果実を受け取る人達の数が少ない。
この構図はアメリカなどでも言えると思います。

その意味で、北欧諸国はかなりフラットな階級構成であると同時に一人当たりのGDPも非常に高く、
そしてその位置を長期間にわたって維持しているので、
幸せな国として成熟しているのがよく理解出来ます。
ご参考までに、「国の国内総生産順リスト - Wikipedia」を見ると結構楽しめます。

「付加価値の高い技術がある。」⇒「国民一人一人の生産性が向上する。」⇒
「GDPが高くなり、企業も儲かる。」⇒「個人の収入が増える&国家の税収が増える」⇒ 「個人も豊かになり、国家の社会サービスも拡大する。」
・・・というバラ色のスパイラルが理想ですが、
このスパイラルの中に腐敗したお役人仕事の比重が重かったり、
既得権ビジネスの比重が重かったりすると、
たちまち色あせたスパイラルになることはかなり容易に想像できます。

昔、「幸せ指数?」とかいったものがあったのを記憶しています。
結論として、現代社会では自動車も普及し、家電製品も充実し、
ライフラインなどの社会的なインフラも拡充されたにもかかわらず、
殆ど映画「Always三丁目の夕日?」のころの「幸せ度」と変わらないか、
むしろ落ちていると言う結果だったと思います。

便利なものを手に入れた代償として、
「豊かな自然(海や空や川・・・)」「人間同士の心の絆」・・・もっと言えば、
「朝日と共に目覚め、夕日と共に仕事を終えるといった純粋な仕事の喜び」
と言ったものを失くして来たのかも知れません。

2008年7月7日月曜日

洞爺湖サミットは、まるで「梁山泊」?水滸伝/梁山泊と洞爺湖サミット



「水滸伝(全19巻)/北方謙三」


宋の時代の中国を舞台にした冒険活劇の古典です。「梁山泊」という名前に聞き覚えがある方も多いと思いますが、それは実はこの水滸伝に出てくる好漢たちが集まってくる砦の事です。

この「梁山泊」というのが、今日から開催されている洞爺湖サミットの舞台となっている洞爺湖の中にぽっかりと浮かぶ「中島?」のイメージにそっくりで、

どうしても、洞爺湖サミットとこの水滸伝のイメージが錯綜してしまうのですが、梁山泊の方は、反政府のテロリストが集まる砦で、

洞爺湖サミットの中島の方は、世界の体制側指導者が集まっているという構図が何とも皮肉で面白いです。
ストーリーをすごく平たく言うと、政府の腐敗を憂いた有志が梁山湖畔に集い、

そこで私設の軍を結成し、宋という国と戦うと言うストーリーです。

壮絶な戦いの末に結局最後は敗れてしまうのですが、そこに登場する101名?のリーダーたちの生き様が主題です。

「三国志(全13巻)」に続いて北方謙三が手がけた中国歴史小説ですが、三国志の方は、吉川英治の三国志と比較すると圧倒的に読み劣りしました。

しかし、この「水滸伝」を読んでしまうと、三国志の方は水滸伝を完成させる為の習作だったんんだなあと思いました。
全19巻あるのですが、最初は単行本としてハードカバーで全部リリースされ、面白い面白いという評判は聞いていたのですが、読もうとも思わなかったですし、ましてや当然のことながら(ハードカバー全19巻は高価になるので)買おうとも思いませんでした。

しかし、去年の夏頃?に、文庫本化されて、最初の10巻が一気に発売され、その後は1ヶ月に1巻ずつ順次リリースされるという巧みなマーケティング術にすっかりはまってしまいました。

と言うのも、最初に第1巻だけ買って読んでみたのですが、これがまるで「インディージョーンズ」を見ているような、男たちの死に方をテーマにした一大スペクタクルで、

その後の10巻までを一気に読んでしまいました。その後、毎月1冊ずつリリースされるのが心待ちになるほど、面白かったです。

やっと、2ヶ月前にに最後を読み終えましたが、今はその続編の楊令伝のハードカバーを読み始めました。こちらの方は水滸伝の続編ではありますが、古典としての水滸伝のストーリーを北方謙三が発展させた内容になっています。


例えば映画「インディージョーンズ」は、映画の芸術性の観点で高く評価されることは皆無だということにかかわらず、エンタテイメント性においては理屈ぬきに無条件に楽しめる作品であることに異を唱える人はないと思います。

それと同様にこの水滸伝は、はっきり言って、歴史の勉強になる訳ではなく、文学的に素晴らしいと言う訳でもないのですが、とにかく読み出すと止まらない面白さがありました。


さて、洞爺湖サミットですが、今回のサミットのテーマは、かねてから二酸化炭素(CO2)の削減、つまり地球環境問題だといわれていましたが、結論から言えば、地球環境問題よりも大きなテーマが出てきている状態だと思えます。

それは、物価高騰問題です。

将来的な崇高な理念目標よりも、まずは目先のガソリンや食料品の高騰をなんとかせい!ということかもしれません。

サミット宣言案は、原油・食料高の影響で「世界経済は不確実性と下ぶれリスクに直面している」と指摘し、「強い懸念」を表明しています。


梁山泊のリーダー達のような、人間的な魅力に溢れて突進力のある政治家はいつになったら出て来るんだろう?

2008年7月5日土曜日

やっぱり複雑・・・「坂の上の雲」


「坂の上の雲/司馬遼太郎(全8巻)」

「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」と読み返そうと思い、「竜馬がゆく」は、すんなり読んで、次の「翔ぶが如く」は、三巻目でちょっと小休止。
先にこの「坂の上の雲」を読み返しました。
NHKのスペシャルドラマとして初めて映像化する為の撮影が始まったそうです。
ドラマは、2009年秋から11年秋まで、3年間をかけて随時放送され、その企画から放送終了までは、約10年という長期間プロジェクトになるようです。

この小説は、司馬遼太郎の最高傑作とされています。
ストーリーは、明治維新後、急激な速度で近代国家となりつつあった日本で、日清戦争に勝利し、
後の講和条約で大国ロシアに日本領土を脅かされ、
国の未来と日本人の意地をかけてロシアと戦争をするという、
客観的に見ると、殆ど勝ち目のない戦争で日本を鮮やかな勝利へと導いた、無名の男達の群像を描いた長編歴史小説です。

その内容に関して私がどう感じたか?とかを語ろうと言う、そういった僭越な気持ちは全くないのですが、その舞台となっている「中国/大連」に関しての、個人的な思い入れとして、非常に強烈なメッセージを感じました。

大連に100%のIT子会社を設立して早くも4年が経とうとしていますが、
6年前に初めて現地に足を踏み入れる前までは、中国は、「これから発展していこうとしているアジアの中の大きな国」という、ごくごく一般的な知識(イメージ)しか持ち合わせていませんでした。
今後、中国においてITは急速に発展するであろうし、そういった背景の中で、優秀で安価な知識労働者を容易に確保して、ソフトウェア開発コストを圧縮したいというのが、初めて中国を訪れた理由でした。

しかし、足を踏み込んだその地は、明治から太平洋戦争までの歴史における日本人として忘れてはいけない何かを考えさせる街でした。
まさに、この「坂の上の雲」で描かれている日露戦争での勝利以降、太平洋戦争での敗戦まで、(つい60年前まで)そこは日本だったということを私の感覚として(日本における近代史の教育の結果として)、全くリアリティが持てなかったのです。
現地には日本語を話すことが出来るお年寄りが大勢残っていたし、
(ロシア政府が建てた物であるにせよ、)日本政府が使った昭和初期風の建物が立ち並び、 そして何より、日本を、そして日本人を憎む人達が未だに大勢いる街でした。
日本の歴史教育におけるこの時代教育の欠如に気付いた事が、私自身の大きなカルチャーショックと言えるかも知れません。もちろん同時に、中国政府による歴史教育のあり方にもです。

小説としての「坂の上の雲」に感動するということは殆どありませんでしたが、
その内容としての歴史認識と、日本人が、まだ誇り高い民族だったころの、軍人たちのすがすがしさに感動しました。
行動の中身とか結果ではなく、こころの持ちようとしての軍人にです。

あまりに辛かった「イニシエーションラブ」



速読が苦手な私としては、駄作にあたってしまうと、すぐに投げ出してしまうことも多いのですが、この「イニシエーションラブ/乾くるみ」のあまりのお粗末さに開いた口がふさがらなかったので・・・。
本屋の店頭POPと本の帯に『必ず二回読みたくなる小説』とあったし、まあまあ有名なこの作家「乾くるみ」でもあったので、気軽に読み始めました。
恋愛小説としてはあまりに稚拙な文体とストーリー展開に呆れて、「や~めた!」と、いつもの通りに10分おきに投げ出そうとしましたが、
トリックのある展開というのも分かっていたので一応最後まで読み通しました。はっきり言って苦痛でした。
そのトリックに関しては奇をてらったものではあったんですが、確かに素直に感心しました。しかしながら、恋愛小説としては、あまりにお粗末過ぎる著者の力量にビックリです。「二回読みたくなる。」は、トリックを確認する為に読み返すのであって、二回読みたくなるほどの内容ではなかったということでしょう。どうでもいい一冊なのですが、今どきこの程度で話題になったこと自体が驚きでした。

小説に限らず、映画や音楽、絵画に至るまで、その本質的な価値について、そこに何を求めるかによって評価が全く違ってきます。
多分、音楽で言えば、素晴らしい音楽は誰が聴いても素晴らしいと感じるものだと思うのですが、その素晴らしさのレベルがどの程度の素晴らしさなのかを理解できる人と出来ない人の間には天と地ほどの感動の質の違いがあるように思います。
ただし、それを理解出来るようになる為には、聞き手としてのその為の努力がなければ成立しません。
例えば、この音楽は「誰それのどの時期の音楽をどのように展開させて何を目指しているか?」と言うような歴史的背景的な意義を理解できてこそ、本質に迫れると思います。
一言で「このワインおいしいよね。」といっても、そのおいしさが2000円のおいしさなのか30万円のおいしさなのかが理解できなければその感動はどうしても表面的なものになってしまうと思うのです。

直木賞作家の開口健さんが、知ってしまった以上、どうしても「あの時のあれ」と比較してしまうことに関しての良し悪しについて、「知の悲しみ」と言う言葉を使っていましたが、ソクラテスの「無知の知」の対極にある考え方ですね。
・・・しかしまあ、それにしてもこの「イニシエーションラブ」は、煮ても焼いても食えんでしょう。

2008年7月1日火曜日

日経ビジネスの特集/世界の投資賢者が明かす!

日経ビジネスの特集で「世界の投資賢者が明かす!」が面白かった。
言わずと知れた「ウォーレン・バフェット」「」ジム・ロジャーズ」「クリストファー・ウッド」の3名がそれぞれの持論を展開していますが、あらためてウォーレン・バフェットの言葉の重みを感じます。
彼は今年の米フォーブス誌の長者番付でビル・ゲイツを抜いて世界一の富豪となった今でも、ネブラスカ州の片田舎で質素な家に住み、清貧な生活を送っています。
彼が経営する投資会社の「バークシャー・ハザウェイ」の1株当たりの純資産は、1965年に19ドルだったのが、今では7万8000ドルです。何と、約4000倍ですね。彼の投資哲学は、非常にシンプルで、

・事業内容が私に理解できること。
・短期的ではなく、長きに渡って成長が期待出来るビジネスであること。
・誠実で有能な経営者がいること。

というのが大前提の鉄則だそうです。
しかし、マネーゲーム的な短期投機の繰り返しを言下に否定してしまうと、技術指向のベンチャーが育つ余地はなくなるので、全てが納得という訳ではないですが、誠実で有能な経営者を見るというのは、(身につまされますが)納得できるところです。
面白いのは、「みんながやっているから」という理由では決して投資しないそうですが、その理由は、「他のみんながやっているという以外の理由が見つからない場合は、何かが間違っているからだ。」という確固たる信念を持っているところです。
また、彼ら3人が共通して言っている共通のキーワードは、「これからはアジアの時代」です。
ジム・ロジャーズなどは、大富豪であるにもかかわらず去年ニューヨークにある住居と米ドルを売り払い、シンガポールへ引越しましたが、そのときのコメントが、「21世紀は中国を中心としたアジアの時代になると確信している。アジアに住まいを移すということは、1800年に英国に渡る、あるいは1900年に米国に渡るに等しい、1世紀に渡る繁栄が見込める土地にたどり着いたということだ。」です。

日本は、激流のアジアの中でどういうポジションを目指すべきなのでしょうか?

2008年6月22日日曜日

藤沢周平 「蝉しぐれ」

藤沢周平の「蝉しぐれ」を読みました。この作品は何年か前に映画化されたそうですが、さすがに藤沢文学の金字塔と言われるだけあって、密度の濃い傑作でした。
手にしてから一気に読み終えてしまえるストーリー展開のおもしろさと深みが味わえました。

10代のころからアメリカ文学にのめり込みましたが、初めてアーウィンショーなどを読んだ時に、「こんなに洒脱で深みのある小説は日本文学ではないよなあ」などと感じたものですが、どうしてどうして、日本ならではの繊細に奥ゆかしい機微に溢れた文体に感心しました。

忘れかけている日本人のメンタリティの素晴らしさを表現した作者の藤沢周平は昭和初期生まれの巨匠ですが、この世代の感性を継承出来る作家がもっともっと出て来て欲しいと願います。登場する男女は「日本的な礼儀」に重きを置く世界に生きていて、現代の価値観とは一線を画しています。しかし、上質のラブストーリーを描くには実はこれほどの物語の厚みとストーリー展開、的確な描写の分量と心理描写、表現力の高さが必要なのだとあらためて実感させてもらえる一冊です。
超一流の技というのは気持ちの良いものです。 まさにプロフェッショナルな作家の作品からしか味わえない読後感でした。

2008年6月19日木曜日

パットメセニーとアジャイルプラクティス

社内レポートでアジャイルプラクティスの中でパットメセニーが伝説化されているって言うことを知りました。多分、読み飛ばしていたんでしょう。
パットメセニーは私が最も尊敬するギタリストの1人です。今でこそ、 押しも押されもしないカリスマギタリストですが、デビュー当時はギターストラップに使いさしの歯ブラシを差し込んだ、ミーズリ出身の田舎っぽい兄ちゃんでした。もちろん、彼の作り出す新鮮でピュアなサウンドに若かった私は一発でノックアウトされましたが・・・。
少し自慢が入りますが、30年前に彼のグループが初来日した時、楽屋に忍び込み、開演前の15分くらい話したことがあります。彼が超ビッグになった今でこそウソのような話しですが、当時私が20歳だったと思います。
説教めいた話になりますが、若い時のバイタリティは人格形成における大切な要素だと思います。一見無謀なことでも、若いというだけで許されることも大いにあります。やりにくい事や実行困難なことだと思えても、やりたいう情熱とパッションで突き進めるハートを持ち続けたいです。例え「オヤジ」と言われようとも・・・です。
グラミー賞を獲得するような超メジャーアーチストになった今でも、私にとっての彼のベストアルバムはやはりファーストアルバムでしょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=kHT9MjkFgBE
貴重な唄モノだとコレ↓が泣けます。This is not America これはアメリカじゃない!カルト系の間で9.11テロのアンチテーマです。
http://jp.youtube.com/watch?v=GRjivIBCHDc

2008年6月17日火曜日

パコ・デルシアとカディスの赤い星

「カディスの赤い星」(上下2巻)逢坂 剛
直木賞の受賞作で、読もう読もうと思いながら、なかなか手がのびなかったのですが、気楽にペロッと読める娯楽読みがしたくなり手にしました。予想通り、大衆娯楽小説としては良く出来た傑作です。充分楽しめました。

スペイン内戦時の秘密を軸に、日本とスペインを舞台に展開される、サスペンスにみちた国際冒険小説です。ストリーも良かったのですが、実名で登場する実在のNo1スーパーフラメンコギタリスト「パコ・デルシア」の音がどうしても聞きたくなってCDを買いました。

Mediterranean Sundance Friday Night in SanFrancisco

パコ・デルシア、アル・ディメオラ、ジョンマクラフリンの超絶技巧ギタリスト3人によるライブ盤。それぞれのアーチストのアルバムは、それぞれ数枚ずつ持っているのですが、この3人が行なうセッションの緊張感は半端じゃないです。
http://jp.youtube.com/watch?v=HEZrB_FDw4c

アル・ディメオラなら
アルゼンチンのタンゴの巨匠=アストロピアソラのナンバーをカバーしたこれもグッときます。
http://jp.youtube.com/watch?v=yhJbIN9FoVI

じゃあ、ジョンマクラフリンだと何だろう?
インド音楽に傾倒していたこの時代あたりでしょうか?(ちょっとオタク入り過ぎてますね)
http://jp.youtube.com/watch?v=3AzovMu-2LY&feature=related

しかし、これが来ると、(思いっきり外れますが、)
インド音楽シタールの巨匠ラヴィ・シャンカールは外せないでしょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=4JjrWxun46M

また、パコ・デルシアに戻ると、フラメンコの情熱なら↓こんなところかな?
http://jp.youtube.com/watch?v=RYkz30RL_GU

こうやってみると、インドもアルゼンチンもスペインもワールドミュージックと言う観点で
偏見なく聴くと、ほぼ同じパッションを共有しているのが興味深いです。

2008年6月13日金曜日

「竜馬がゆく」・・・NHKの大河ドラマ 篤姫が気になった。



「女の道は一本道。 さだめに背き、引き返すは恥でございます。」のフレーズで宮崎あおいが演じる篤姫を時どき見てます。

あの、幕末から明治にかけての時代背景が気になりだして、ずっと昔に読んだ一連の司馬遼太郎のシリーズ3部作を読み返しています。

「竜馬がゆく」(全6巻) : 幕末あたりの勤皇の志士たちの物語り
「翔ぶが如く」(全10巻): 幕末から戊辰戦争~明治中期にかけて
「坂の上の雲」(全10巻):明治中期から昭和初期だったかな?日清戦争、日露戦争あたり



今は、「竜馬がゆく」を読み終えて、「翔ぶが如く」の第2巻目です。

「竜馬がゆく」のストーリーは、江戸幕府の硬直した社会制度に対して、多くの若者が立ち上がり、やがては300年続いた江戸幕府を倒すまでの過程を描いた歴史小説です。
時代背景として、黒船の渡来など、もはや先進国世界の流れの中で政治も経済も立ち行かなくなっていたという歴史的な必然性があったとしても、この物語の主人公たちは、ほとんど20代の若者です。坂本竜馬や西郷隆盛といった志を持った若者たちが、お年寄りの殿様たちが支配する封建的な組織の中でどのようにして志を貫いていったのか?この原動力は、純真な志を貫こうとする若さとバイタリティー以外の何者でもないです。こういった純真な志を持てる幸せな(複雑な価値基準がない)時代だったのかもしれませんね。
「坂本竜馬」の魅力と、幕末に生きた武士たちの日本を想う気持ちは、私達の忘れている何かを奮い起こしてくれると想います。 日本人としての誇りをもちつつ、そして自分の信義を貫きながら生きる人。また、信義を貫くために死を選ぶ人。 さまざまな局面でさまざまな登場人物が、さまざまな人生を歩んでいきながらも、「日本を想う」という想いは敵味方に分かれても変わらないものでした。
日本人同士が「志は同じ」ながらも、敵味方に分かれて戦うことになってしまった幕末という時代の悲劇を、他の世界(欧米、他アジアなど)になかった歴史だったということとも照らし合わせて、私達が同じ血を受け継いでいるということを再認識すべきだと思いました。


はじめに・・・

メディア情報開発株式会社 山田隆信 ブログ
多分、一番多くなりそうな話題は、

  • 今、読んでいる本とか雑誌の感想。 備忘録っぽくメモしておくつもりです。

移動する事が多いので、同時並行で3冊くらいを読みます。あまり、読むスピードは速くはないですが、文庫サイズで週に1冊くらいのペースです。それに加えて、行きの電車で新聞と、帰りの電車で業界の専門誌といった感じです。

ジャンルは、とても広いですが、かなり一般的なものが多いです。 社会情勢関係、現代アメリカ文学、日本の歴史物とかです。

  • 買ったCD/DVDの感想

これは1ヶ月平均で5枚は買います。1枚通して聴かない(聴けない)CDもかなりありますし、間違って同じものを買ってしまったものもかなりあります。ジャンルはかなり狭いですが、オタクっぽいものが多いかもしれません。どうしても新譜を中心に買ってしまいますが、古~いのも意外に買っています。

フュージョン系が中心です。(1000枚くらい持っています。) その他、バロック系とか、アメリカンロックとか、とにかくたくさん聴きます。

  • 個人的に参加しているコミュニティ関係

仕事とは全く無関係に参加しているコミュニティが2つあります。かなり、オタクですが、怪しい集まりではありません。

その他は、月に2~3回くらい行くサーフィンの話題くらいです。そのくらいの話題の中で、少しずつ思っていることや感じたことをメモして行こうと思います。