2008年11月29日土曜日

人間の覚悟 (新潮新書) (新書)  五木 寛之 (著)

大御所の直木賞作家 五木寛之の最新刊です。
内容は、特に今のように全世界の経済が大きな下り坂への転換期を迎えている時だからこそ、浮かれた生活から、そろそろ覚悟を決めて人間本来の生活に戻る覚悟をしなければならない・・・と言うもの。
「覚悟」とはあきらめることであり、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめる心構えを持つこと。

これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか?だれもが生き生きした人生を歩めるように、様々な視点から穏やかに語ってくれています。久々に押し付けがましくなく心が休まる本当に良い本に出会いました。

少し抜粋してみます。

どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということは別である。私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。国家は国民のために存在して欲しい。だが、国家は国家のために存在しているのである。


今の時代は、「心の愁い」までも心療内科の対象として心の病にしているが、人生は愁いに満ちているし、人は誰しも愁いを抱ええて生きていくものだと覚悟しなければならない。
たとえば、イチローみたいにないたいと野球少年が夢を追いかけるのはけっこうですが、努力すれば必ず報われるわけではない。実際に世に出る人はほんの一握りの幸運な人でしかないと覚悟しなくてはなりません。あきらめるというのはすごく大切なことです。
人間は一人で生まれ、やがては老いて一人で死んでいくものだということを若いうちに出来るだけ早く、諦めておくべきだろうと思うのです。


これから先の日本は人口が減り、斜陽化し、産業は停滞していくのです。経済成長だ、GDPが世界で何番目だと誇るのではなく、日本人が大切にしてきた精神世界の恩恵と、それが持つ可能性を、あらためて国内にも世界にもメッセージすればいい。
そういうことが大きな価値として歴史に残るのではないでしょうか?
日本のように経済的に豊かな国に住む人が、貧しい国の人々へもたらす結果的なしわ寄せだけでなく、私たちが生きているということだけで、直接的な影響もいろいろあるではありませんか。
暑いの寒いのと年中不平を言いながら、冷暖房を使って快適に過ごす。面倒だからと何でも車を使って排ガスを出している。そこでで自分が悪をなしているという意識は持ちにくいが、現代人はどうしようもなく傲慢だ。しかし、結局、すべての人は動物であれ植物であれ、多くの命を犠牲にして生きざるを得ないといことの意識のかけらをもって、諦めなくてはならない。


人との関わりや友情は長ければ良いというものではありません。世間は「人脈」という言葉が好きなようです。しかし、いつも気の合う者同士で群れることがいいとも思いません。私はむしろ、本当にこのひとと親しくなりたい、あるいはなりそうだと予感した時は、あまり近づかないようにしているのです。一心同体のように親しくなるのを避け、ずっと長く一緒に付き合っていきたい人とは、意識的にある距離を置くようにしてきました。
例えば、妻だから家事をするのは当たり前と期待しない。 子どもは親孝行するもんだとは期待しない。社会や国が 自分を守ってくれるなん期待しない。 虚無的で後ろ向きな考え方だと思われるかもしれないが、決してそうではない。 期待していないからこそ何事も自分でしっかりやろうと思う。はなから期待していないので、期待した結果が得られず腹がたつということもない。期待していなから批判的になることもない。もし、何かいい結果が得られたのならば、期待していなかったから、その分喜びも大きい。 「期待しない生き方」 期待しない・・・と覚悟して生きていくのだ。