2011年8月31日水曜日

パタゴニアとグリーンピース・シーシェパード


最近、商品本来の価値に「もう少し違う何か」を付け加えて存在感(付加価値)と購買意欲を喚起する手法が色々と見受けられます。
フェアトレードっていう仕組みもそうですね。
安さを追求した大量生産ではなく、例えば、アフリカの民族物産などに対して、相応の対価としての利益を上乗せして支援していこうといった構図です。

「自然回帰」的なテーマで人気の「パタゴニア」もこの例外ではないです。
様々な自然保護に企業活動として取り組んでいます。
無農薬のオーガニックコットンのシャツは僕のお気に入りだったので、インターネット・オーダーなどでたくさん購入してました。

が、このパタゴニアが、シーシェパードなどの強力なサポーター企業だと知ってしまうと、なんだか複雑な気持ちになってしまった。
ホントに良く気をつけないと、意図しない反作用のリスクになってしまう。
とりあえず、もうオーダーすることはないと思う。

2011年8月26日金曜日

ジョブズって何者だ?


Apple・・・個人的な想い。結論は無い。
Appleという会社は私にとって一体何なんだろう?
今や巨大な時価総額をもつ会社に成長したアメリカンドリームの体現者達。

1995年あたりまではMacPlus~AppleⅡ~BlackBirdと私はずっとMacユーザーだった。
それ以降はWindows。また、MacBookAirに戻ろうと考えている。
iPod、iPodTouch、iPhone、iPadは使っている。

ジョブズは好きか?・・・・正直あまり興味は無いタイプだった。
ジョブズはビジネスプロヂューサーだったと思う。
ウォズニアックは好きか?・・・・好きなタイプだった。
でもウォズニアックはハード屋さんだったのではないのか?
Appleの真骨頂はMacだ。MacのキモはMacOSだ。
MacOSはパロアルトであり、Appleではなく、もちろんウォズニアックでもなかったはず。

ではAppleとは何者なのか?

製品自体のクオリティが一定水準以上であることは絶対的な前提条件だが、それにプラスしてApple社の製品にあるモノとは?
・・・そこを取巻く「おしゃれなデザイン」「楽しそうな雰囲気とイメージ」・・・そのあたりに秘密がありそうだ。
であれば、やはりトータルプロヂューサーとしての独裁者ジョブズがキモだったのか?
いや!違うような気がする。
ジョブスの行動パターンはどうも好きになれない。
そこから生れ出て来た製品群だとはどうしても思えない。
何かがあるような気がする。
しかし、ジョブズはAppleを追われた後にNeXTやピクサーといった個性的なベンチャーも立ち上げた。
ただ者ではなかったことだけは確かだろう。

2011年8月23日火曜日

青森・光星学院高野球部、3人の飲酒発覚 停学処分に


光星学院高校(青森県八戸市)は22日、第93回全国高校野球選手権大会で準優勝した野球部の部員3人が、昨年12月に飲酒をしていたと発表した。
同校の規定で停学になるが、期間は未定。
同校によると、3人は昨年末に帰省した際、それぞれ別に飲酒した。
ブログに飲酒したと書き込んだ部員がいたことから、22日午前に外部から「ネットで(飲酒の事実が)流れている」との指摘が同校に寄せられ、情報を把握したという。
ブログの記述を確認し、部員に聞き取りをすると、3人が飲酒を認めたとしている。
八戸市役所は準優勝をたたえる看板を23日に玄関に設置する予定だったが、中止すると発表した。〔共同〕

どうでもいい様な事件だが、本質的にこの国の根幹にかかわる重要な事件のような気がする。
未成年の飲酒は法律で禁止されている。
禁止されている理由も理解できるし、例外を認めることも影響が大きいことも理解できる。
しかしだ。どう考えてもどうでもいいことを、何も考えずにかどうか知らないが、まるで密告者のようにチクる人達・・・そして、「規則だから」という理由で杓子定規に何らかの処分にあてはめようとする人たち。

人々すべてが、そのこと自体の事柄や意味を考えずに、小役人の集団のようになってしまった日本の社会。
内部統制のような行き過ぎた管理のための管理。
政治家も政治家だが、何かあるとすぐにマスコミスキャンダルになってしまう政局。

おおらかな生き方が出来なくなった日本の社会。
これこそがグローバリズムを必要とされている時代に、日本列島に閉じ籠もってしまっている日本の閉塞感の元凶ではないかと僕は思う。

2011年8月10日水曜日

官僚の責任 (PHP新書)



官僚の責任 (PHP新書) [新書]
古賀 茂明 (著)

Bookレビューより --------------------
辞職を迫られた改革派官僚“覚悟の証言”
「霞が関は人材の墓場」――著者はそう切り捨てる。
最高学府の卒業生、志を抱いて入省したはずの優秀な人間たちが集う日本最高の頭脳集団。
しかし彼らの行動規範は、「国のため」ではなく「省のため」。
利権拡大と身分保障にうつつを抜かし、天下りもサボタージュも恥と思わない……。
いったいなぜ官僚たちは堕落の道をたどるのか?

内容的には難しい内容ではなく、読み易く納得出来るものでした。
・・・が、一方で批判的な書評としては以下のような意見もありました。

他者を悪者にし、自分を正義のヒーローにするのは如何かと思う。
この国の政治が機能しないのは、主権者である国民の責任。
特に二十代は殆ど投票に行かずに芸能人と恋愛にしか関心を持たない。
やるべき事すらしないのに、他人のせいにすべきではない。
この国の主権者は私たちです。
それを自覚することが、一番大事なのです。

どちらの意見も正しいのだが、じゃあ一体これから一般国民はどうしたらいいの?
という複雑な思いに駆られてしまう。
官僚も、半官半民の大企業の人達も、既得権益に守られた企業で働く人たちも、きっとダメダメ人間です。
グローバルな競争にさらされている企業の人たちは、まだもう少しマシかもしれないけど、でもきっとダメ人間です。
志と品性をもって生きている人は少ないのが現実です。
でも、そのような時代に生きている私たちにはどうすることも出来ないことが多い。
じゃあ、せめて多くの人々を犠牲にしてしまうようなことだけはしない人間の生き方をして欲しいと願ってしまう。

2011年8月8日月曜日

お盆ってなんだろう?




仏教の行事に由来するもので、先祖の霊を迎え火でお迎えし、送り火でまだお返しするというものだと聞いて育った。
地方によってお盆の日にちが違うようだが、一般的には8月13日から15日の3日間。
うちの実家では、13日にお墓参りをし、ご先祖さんをお迎えし、15日の夜には流し火でお送りすることが行事になっている。
送り火に関しては、精霊流しのように大きなイベントになる地方もあるけど、我が家では私が子供のころまでは、ハスの葉っぱを船に見立てて、その上に少しのお供え物とロウソクを立てて、近所の小川に流したものだった。

京都などでは、いろんなお祭りがあって、季節感は折に触れてかなり楽しめるが、一般的に日本中で共有されている季節感は意外と少なくなっているので大切にしたいものだ。
そのほかには、お彼岸と春祭り・秋祭りくらいになってしまっているなあ・・・。

仏教に限らず、何かの宗教を精神的な主柱にして根差した倫理観・人生観は本当に大切なものだとあらためて思う。
宗教教育を背景にした道徳観の形成が最もシンプルなんだろうとも思う。
宗教観が強過ぎると身動きの取れない宗教戦争にまで発展するが、逆に宗教観のない国民の危うさも大きな問題になりつつある。

2011年8月1日月曜日

中国鉄道事故の報道がホントに多い。





この事故、今の中国という国を考えると起こるべくして起こったということだろう。
その後の対応も報道されている通りで、顛末の真相は明らかにはなっていないが、人命を第一に考えるという基本理念が浸透していないことがそもそもの根底にあることは間違いない。

この事故に関して言えば、中国という国の社会構造が良く見えて分かりやすい。
・・・が、一方日本はどうだろう?
確かに表面的には人命を第一に考えるということは、当たり前のように浸透しているし行動されているような気もする。
しかし本当にそうだろうか?例えば原発問題。
原発に投入されている本当の電力コストや、電力供給能力の本当の実態など、表面的には見えないところで、隠ぺい体質は強力に存在する。
そして、なお且つ、「安価な電力供給によって日本経済を支える」とか、「原発に関連する人たちの100万人規模の雇用を守る」といった大義名分を持ち出した時、本当に人命を第一に考えている国と言えるだろうか?
中国の鉄道事故などの比ではない大きな問題が今この日本に横たわっている。