2010年8月9日月曜日

広島原爆の日:65回目 核廃絶、世界で潮流 国連事務総長が初参列。

広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」機長の息子が、 広島市での平和記念式典にルース駐日米大使を派遣したオバマ政権の判断は「無言の謝罪」になるとして承服できないと批判する声を伝えた。
そして今日の長崎にルース大使は出席しなかった。
・・・この日には毎年深く考えさせられる。


色々の立場から、様々な意見があり、それはそれでもちろん尊重されるべきものであることには間違いない。

機長の息子であれば、こういう発言になるのもある意味で正しい。 少なくとも、謝罪云々を議論する対象の人物では当然ない。
しかし、概ね基本的な認識としては以下の通りではないかと思っている。


戦局的な観点からは日本への原爆投下はほとんど必要なかった・・・・勝敗はもはや時間の問題で明らかだった。
広島にリトルボーイが投下されたのが1945年8月6日。
長崎のファットマンは三日後の8月9日。
なぜ、三日の間に2つの違うタイプの原爆を投下したのか?
の理由は、最初の投下から1週間以上猶予をおくとその間に 日本が全面降伏してしまい、 ファットマンを投下できなくなる可能性があった。
2つのタイプの原子爆弾の開発に膨大な投資をしており、その実践での人体実験の必要性があった。
威力を見せ付けて降伏させるためだけなら市街地でなくとも良かっただろう。
アメリカによる二度の原爆投下はナチのユダヤ人大虐殺にも匹敵する。


終戦前後の歴史観においては、様々な異論や意見が出てくるが、それは当事者にとってみるとある意味で当然のことで、しかしそのことが逆に変な感情論的な対立の議論になって本質をぼやかしている。
無駄な死者をこれ以上出させないためとか、北からのソ連侵攻を未然に防いだ意味は大きいとか・・・
そういった議論である。
歴史史観とは別にも「へえ、そんな話もあったんだあ」というものも結構ある。
例えば、実際の原爆被爆者は実際にはかなり限定的で、認定されている被爆者のほとんどは、国からの補助金目的である。
とか、原爆投下当時、日本はすでに原爆の開発を完了しており、報復投下をすることももしかすると可能だったが、天皇陛下がそれを許さなかった・・・とか。

厄介なのは、謝罪をめぐる意見の対立で、実際にアメリカは今日に至るまで原爆投下が過ちであったとする 見解を公にしたことはない。(補償の問題が出てくるし、歴史観的に正当性はいくらでも言える。)
オバマ大統領も選挙戦において、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下は正当な戦闘行為であったと明言しているのだが、プラハ演説を経ての今回の長崎不参加はむなしく響く。