2008年7月5日土曜日

やっぱり複雑・・・「坂の上の雲」


「坂の上の雲/司馬遼太郎(全8巻)」

「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」と読み返そうと思い、「竜馬がゆく」は、すんなり読んで、次の「翔ぶが如く」は、三巻目でちょっと小休止。
先にこの「坂の上の雲」を読み返しました。
NHKのスペシャルドラマとして初めて映像化する為の撮影が始まったそうです。
ドラマは、2009年秋から11年秋まで、3年間をかけて随時放送され、その企画から放送終了までは、約10年という長期間プロジェクトになるようです。

この小説は、司馬遼太郎の最高傑作とされています。
ストーリーは、明治維新後、急激な速度で近代国家となりつつあった日本で、日清戦争に勝利し、
後の講和条約で大国ロシアに日本領土を脅かされ、
国の未来と日本人の意地をかけてロシアと戦争をするという、
客観的に見ると、殆ど勝ち目のない戦争で日本を鮮やかな勝利へと導いた、無名の男達の群像を描いた長編歴史小説です。

その内容に関して私がどう感じたか?とかを語ろうと言う、そういった僭越な気持ちは全くないのですが、その舞台となっている「中国/大連」に関しての、個人的な思い入れとして、非常に強烈なメッセージを感じました。

大連に100%のIT子会社を設立して早くも4年が経とうとしていますが、
6年前に初めて現地に足を踏み入れる前までは、中国は、「これから発展していこうとしているアジアの中の大きな国」という、ごくごく一般的な知識(イメージ)しか持ち合わせていませんでした。
今後、中国においてITは急速に発展するであろうし、そういった背景の中で、優秀で安価な知識労働者を容易に確保して、ソフトウェア開発コストを圧縮したいというのが、初めて中国を訪れた理由でした。

しかし、足を踏み込んだその地は、明治から太平洋戦争までの歴史における日本人として忘れてはいけない何かを考えさせる街でした。
まさに、この「坂の上の雲」で描かれている日露戦争での勝利以降、太平洋戦争での敗戦まで、(つい60年前まで)そこは日本だったということを私の感覚として(日本における近代史の教育の結果として)、全くリアリティが持てなかったのです。
現地には日本語を話すことが出来るお年寄りが大勢残っていたし、
(ロシア政府が建てた物であるにせよ、)日本政府が使った昭和初期風の建物が立ち並び、 そして何より、日本を、そして日本人を憎む人達が未だに大勢いる街でした。
日本の歴史教育におけるこの時代教育の欠如に気付いた事が、私自身の大きなカルチャーショックと言えるかも知れません。もちろん同時に、中国政府による歴史教育のあり方にもです。

小説としての「坂の上の雲」に感動するということは殆どありませんでしたが、
その内容としての歴史認識と、日本人が、まだ誇り高い民族だったころの、軍人たちのすがすがしさに感動しました。
行動の中身とか結果ではなく、こころの持ちようとしての軍人にです。

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