2009年6月27日土曜日

マイケルジャクソン死す!そしてチャベス大統領

彼が偉大なアーティストであったかどうかについては、疑問ですが、偉大なエンターテイナーであったことは、この訃報に対するマスコミの騒動を見ても間違いなさそうです。
ただ、彼の逝去については個人的にあまりピンとこないので、この騒動は一体どうしたことだ?と思ってしまいます。記憶をたどっても、彼のどれかのアルバムを通して聞いたことはないと思うし、通して聞きたいと強く思ったこともないと思う。
私にとっとは、間違いなくアーティストではなく、エンターテイナーだったし、ダンスを中心としたその種のエンターテイメントにあまり興味もなかったので、この一連の報道の中でベネズエラのチェベス大統領のコメントに思わず納得してしまった。


ベネズエラのチャベス大統領は報道のあまりの大きさにうんざりしながら批判して、「人は誰でも死ぬ。ほかにニュースがあるだろう」と話した。





ここで話題はこのチェベス大統領に移る。


このチャベス大統領はかなりの筋金入りの人物です。
良い悪いは別として、日本にもこんなリーダーの登場を期待してしまう気持ちは大いにあります。彼の伝説的な国連演説を以下にご紹介します。(かなり端折ってます。)この演説は2006年9月の国連総会のものですが、この当時の米国大統領はブッシュで、その後のイラク戦争~強欲金融経済破綻へと連なります。世界で今なにが起こっているのか?もしくは起こりかけているのか?そのヒントがこの演説にあるかもしれません。
長文ですが、ホントに面白い。



チャベス国連演説 -----------------------------------

議長、大使、国家元首、首脳や他の政府代表者のみなさん、おはようございます。
第一に、敬意を表して、ノーム・チョムスキーによるこの本を強くお勧めします。チョムスキーは、米国と世界で高名な知識人のひとりです。彼の最近の本の一つは『覇権か、生存か――アメリカの世界戦略と人類の未来』です。(この演説により、アマゾン等のベストセラー・ランキングで1位になったという。)
20世紀の世界で起きたことや、現在起きていること、そしてこの惑星に対する最大の脅威――すなわち北米帝国主義の覇権的な野心が、人類の生存を危機にさらしていること――を理解するのに最適な本です。
我々はこの脅威について警告を発し続け、この脅威を止めるよう米国人彼ら自身や世界に呼びかけて行きます。この本から引用することを考えましたが、時間の都合上、ただ推薦するにとどめておきます。容易に読むことが出来ます。これはとても良い本です。

(拍手)

この本をまず読むべき人々は米国の兄弟姉妹たちである、と私は思います。
なぜなら彼らにとっての脅威は彼ら自身の家にあるからです。悪魔〔el diablo〕は本国にいます。悪魔、悪魔彼自身はこの家にいます。そして悪魔は昨日ここにやって来ました。(前日にブッシュの演説があった。)

(拍手)

昨日、悪魔はここに来ました。正にこの場所に。ちょうどここに。〔十字を切る〕今日となっても未だに硫黄の臭いがします。
皆さん、昨日この演壇から、私が悪魔と呼んだ紳士である米国大統領は、ここに上り、まるで彼が世界を所有しているかのように語りました。
全くもって。世界の所有者として。私が思うに、精神科医を呼んで、米国大統領によって成された昨日の声明を分析してもらうのもいいでしょう。
帝国主義の代弁者として、世界の人々を支配し、搾取し、略奪する現行の形式を維持するために来たのだ。アルフレッド・ヒッチコック映画がシナリオとして使えるでしょう。
タイトルを提案もしましょう。『悪魔の処方箋』と。

ここでチョムスキーが詳しく述べているように、米帝国は自らの覇権の体制を強固にするために、出来得る全てを行っています。我々は彼らがそうすることを許すことは出来ません。
我々は世界独裁が強固になることを許すことは出来ません。世界の保護者の声明――冷笑的、偽善的、全てを支配するという彼らの欲求からくる帝国の偽善で溢れています。
彼らは彼らが民主主義のモデルを課したいと言います。だがそれは彼らの民主主義モデルです。
それはエリートの偽りの民主主義であり、私の意見では、兵器や爆弾や武器を発射することによって強いられるという、とても独創的な民主主義です。
何とも奇妙な民主主義でしょう。アリストテレスや民主主義の根本にいる者たちは、それを認知できないかもしれません。どの様な民主主義を、海兵隊や爆弾で強いるというのでしょうか?

米国大統領は昨日、正にこの場所で、この部屋で我々にこう述べました。引用です。
「何処を見渡しても、過激派が暴力、テロや殉教を通して、貧困から逃れ、威厳を取り戻すことが出来る、と告げている。」彼が見渡す如何なる場所にも、彼は過激派を見ます。
そして貴方、我が友よ――彼は貴方の色を見て、そこに過激派がいる、と言います。
ボリビアの大統領閣下エボ・モラレスは、彼にとって過激派に見えます。
帝国主義者らは、至る所に過激派を見ます。我々が過激派であるということではありません。
世界が目覚め始めている、ということです。至る所で目覚めています。そして人々は立ち上がり始めています。
私の印象では、世界の独裁者様、貴方は残りの人生を悪夢として過ごすでしょう。
なぜなら、我々――米帝国主義に対抗する全ての者たちや、平等や尊重、諸国の主権を叫ぶ者ら――は立ち上がっているのだから。我々を過激派と呼ぶことは出来ます。
だが、我々は帝国に対して立ち上がっているのです。支配のモデルに対して。
大統領は――これは彼自身述べたのですが、こう言いました。
「私は中東の人々に直接語るために来た。わが国は平和を望んでいると伝えるために。」これは真実です。もしブロンクスの通りに赴き、あるいはニューヨーク、ワシントン、サンディエゴ、いかなる町でも、サンアントニオやサンフランシスコを歩き回り、個人に、米国の市民に何をこの国が望んでいるのか、平和を望んでいるのかを聞けば、彼らは、はいと答えます。
しかしこの政府は平和を望んではいない。米国政府は平和を望んでいない。それは戦争を通して、搾取や、略奪、覇権の体系を利用しようとしています。
イラクで何が起きているでしょう? レバノンでは何が起きたでしょう? パレスチナでは? 何が起きているのでしょう? 
過去100年間に中南米や世界で何が起きてきたのでしょうか? そして今ベネズエラを脅しています――ベネズエラに対する、イランに対する新たな脅威?
彼はレバノンの人々に語りかけました。あなた方の多くが、自宅や地域社会が十字砲火を浴びるのを目撃した、と彼は言いました。どれだけ人は冷笑的になれるのでしょうか? 
慎ましやかに嘘をつく、何という力量でしょう。ベイルートにおけるミリメーター単位の精密な誘導爆弾? これは十字砲火でしょうか?彼は、腰から銃を抜き撃ち、誰かが十字砲火を浴びる西部劇を思い描いています。これは帝国主義者であり、ファシスト、暗殺者、大量殺戮者であり、帝国とイスラエルがパレスチナとレバノンの人々に発砲しているのです。これが、起きた事です。そしていま、「我が家が破壊されたのを目撃したので私達は苦しんでいる」と聞かされる。

米国大統領は人々に語りかけるためにやって来ました――世界の人々に。彼はこう言うために来ました――私はある文書を持ってきました。それは、今朝私はある声明を読み、彼がアフガニスタンの人々、レバノンの人々やイランの人々と話をしたことが分かったからです。彼は直接これらの人々に演説しました。そして米国大統領が世界の人々に演説している間に、人は不思議に思う。発言する機会が与えられたならば、世界の人々は彼に何を伝えるのか? 彼らは何を言いたいだろうか?
南の人々、迫害された人々が考えていることを私は薄々感じています。彼らは、「ヤンキー帝国主義者、祖国に帰れ」と言うでしょう。もし彼らにマイクが渡され、米帝国主義者に一つの声で伝えることができるなら、人々はそう言うであろうと思います。この部屋にいる如何なる者も、この機構を擁護できるとは私は思いません。認めようではありませんか――誠実になりましょう。第二次世界大戦後に生まれた国連の機構は瓦解しました。価値がありません。
もちろん、一年に一度互いに集まり、出会い、発言をし、あらゆる種類の分厚い文書を準備し、昨日のエボやルラ大統領のスピーチのような素晴らしい演説を聴くのは良いことです。その様なことにとっては適切です。そして沢山の演説があり、我々は例えば、スリランカの大統領やチリ大統領から多くを聞きました。だがこの総会は単なる審議機関へと変えられました。我々は権威を持ちません。世界の悲惨な情勢に影響を与える権威を。これこそがベネズエラが再び、ここで、今日、九月二十日に、国際連合の再建を提案する理由です。
昨年、議長、我々は決定的に重要であると我々が感じる四つの穏当な提案をしました。我々は責任を負わなければなりません。我々の国家元首、大使、代弁者は。
そして我々はそのことを論じなければなりません。
第一は、新しい先進及び発展途上国、第三世界に新しい常任メンバーとしての機会が与えられなければなりません。これが第一段階です。
第二に、世界の紛争に取り組み解決する効果的な方法、透明な意思決定です。
第三点、皆が呼びかけているものである、拒否権として知られる反民主的な仕組みの即時廃止です。安保理の決定に対する拒否権です。
最近の例を挙げさせてください。米国の不道徳な拒否権は、イスラエルが罰されずに、レバノンを破壊することを許しました。我々が呆然と見ている間に、我々の目前で、理事会の決議は妨げられました。
第四番目に、我々が常に述べてきたように、国際連合の事務局長の役割と権威を増加しなければなりません。

昨日事実上、〔アナン〕事務局長は別れの演説をしました。彼は過去10年間に、物事が更に複雑になったことを認めました。飢餓、貧困、暴力、人権侵害は一層ひどくなりました。これが国際連合という機構の瓦解と、米国の覇権的野心の途方もない帰結なのです。
我々の意見は、国際体系の改革や平和の探求および威厳を代弁する独立した声なのです。
この惑星の覇権的な勢力の迫害や攻撃性を非難する声。帝国は真実を恐れており、独立した声を恐れています。それは我々を過激派と呼ぶのですが、彼らが過激派なのです。
以上全てに加えて、議長、そこには楽天的になる理由があると私は思います。
詩人ならば「救いようのない程に楽天的」と言うでしょう。なぜなら、戦争や爆弾や侵略及び予防戦争、また民族の破壊とは別に、新しい時代の夜明けを人は見ることができるからです。この時代は心を生み出しています。そこには異なる思考の仕方があります。異なる考えを持つ若者達がいます。
パックス・アメリカーナ〔米国の力による平和〕と、資本主義の新自由主義世界体制について現在我々が成さなければならないことは、世界の将来を定めることです。あらゆる所で夜が明けています。それをアフリカで、欧州、中南米やオセアニアで見ることが出来ます。私は楽観的な展望を強調したい。
我々は我ら自身を、交戦する意思を、我らの認識を強化しなければなりません。
我々は新しく又より良い世界を築き上げなければなりません。ベネズエラはその闘争に加わります。これが我々が脅される理由です。米国は既にベネズエラでクーデターを計画し、出資し、着手したことがあり、ベネズエラやその他の場所でクーデターの試みを支援し続けていますが、ベネズエラはテロリズムや暴力と戦うために、完全に専念しています。
我々は平和のために戦う人々の一人です。人は別の時代の幕開けを目撃するのです。15カ国グループ 〔G15〕、非同盟首脳会議は歴史的な決議を採択しました。これがその結果としての文書です。心配ご無用、読みはしませんから。
そしてここにいる全ての人に私が要求することがあるとすれば、我が友よ、我が兄弟姉妹よ、それは新たな時代の幕開けのための非同盟運動に勢いを与える、あなたの善意を与えてほしい、と頼むことです。覇権を妨げ、帝国主義の更なる前進を止めるために。
この文書とともに、これらの発案とともに、これらの批判とともに、私は私のファイルを閉じます。あの本も持っていきます。そして、忘れないでください。これを私は皆さん全てに、熱心に又謙虚にお勧めします。
我々は我々の惑星を救うアイディアを必要としています。帝国主義の脅威からこの惑星を守るために。そして望むところは、この世紀に、そう遠くない時に、我々はそれを、この新たな時代を目の当たりにするでしょう。そして我々の子供達と我々の孫達に、国際連合の、一新された国際連合の基本原則に則った平和な世界を。
神よ我ら全てを祝福したまえ。良い一日を。

2009年6月13日土曜日

鳩山辞任と今の政治家の大変さ


鳩山(弟)が辞任した。
昨日の夕方の出来事であるにもかかわらず、様々なニュースが面白おかしくマスコミによって報道されていますが、何が正しくて何が真実なのか?といった単純な問題ではない上に、殆どの政治家の行動は表面的な発言内容とは無関係だろうと容易に推測出来ます。

簡単に言ってしまうと、「郵政民営化=改革路線」の西川社長であっても、「国民の皆様のための民営化」という抽象的な幻想のために運営しているのではなく、営利を追求する為に行動している訳で、
一方の鳩山(弟)にしても、「正義を貫く為」に政治的な行動を起こしているわけではないことをはっきりを理解しておく必要があると思う。
うがった見方をすれば、行く末が見えている自民党に対して、正義を貫くと言う大義名分の下に勇ましく立ち回ることの方が遥かに多くのメリットと選択肢を持つことが出来るだろう。

誰がどう言おうと少なくとも現状の政治家とはそんなものだ。
ただ、政治家は政治家で大変な時代に入ってきていることも事実で、鳩山辞任とは全く無関係なおもしろい新聞記事がありました。

以下、要約します。
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政治と経済は不可分なので、経済を見る上で政治は無視できない。
そうであるからこそ、偉大な宰相が出てきて日本を引っ張っていって欲しいが、現実はなかなか難しそうだ。
ではなぜこんなに政治はこんなに難しいのだろうか?そこで、現代の政治をめぐる権力の強さと弱さを整理すると2つの見方に分かれるということが見えてくる。

第一は、議会制民主主義の現代では、有権者や世論の監視の下で権力が弱体化しているという見方。
これはどういうことかと言うと、政治家が起こしたアクションそのものが常に有権者によって監視されているので、(色々な人が色々な視点や考え方を持っている中で、)どうでも良さそうな些細なことでも、際限なくバッシングされる傾向が強まっており、大胆な発想で大胆な行動がなかなかおこせない。また、その声を効果的に代弁する各種のマスメディアを通じて強まるという特性を持っている。

第二は、民主主義体制であるにもかかわらず、技術革新や行政の肥大化など様々な要因によって、いや応無しに権力強大化が進んでいくと言う見方。
これに関しては第一の問題とは逆に、例えば官僚国家的な視点に立つと民主主義ではありながらも、強大な行政組織が構築されていて、政治家が行使できる権力が巨大化している。

この異なる2つの見方の存在は、現代政治の難しさを示している。政治権力が弱体化と巨大化という全く矛盾した2つの方向性を持ってしまった点こそその難しさがある。
現代の優れた政治とはこの2つの相矛盾する状況に対応する能力があることを意味している。
これからの政治家は、弱いイメージをまとって正当性を持つ面と、強い力を行使して正当性を持つ面との両面を的確に見極めて使い分ける知的習慣を身につけなければならない。
この時代ほど政治を職業とする人々にとってやりにくい時代はないだろう。政治家が消耗品になりかけているのである。


以上が主旨ですが、一見すると何やら小難しい内容なのですが、簡単に言ってしまうと、一般市民が口うるさくなってきたし、マスコミまで含めると、とことん監視されていて、ホンのちょっとしたことですぐ足元をすくわれる。
逆に、官僚は大きな権力を持っていて、それを使いこなすのも政治家の大きな役目なので、これもまた荷が重い。あたまの良いお役人さんは“ああ言えば、こう言う”タイプの典型なので、コントロールするのはホントに大変だと思います。
だから現代の政治家って本当にしんどいよね?っていう記事でした。

結局のところこういった見方は政治家に留まらず、かなり多くの人達が抱える問題のような気にもなってきています。




2009年6月6日土曜日

いわゆる足利事件の判決記事が興味深い。

このニュースの 概要は以下の通り。

平成2年の足利事件で殺人罪などに問われ、無期懲役が確定した元幼稚園バス運転手、菅家利和さん(62)について、東京高検が4日、菅家さんのDNA型と女児の下着に付着した体液が一致しないとする再審請求即時抗告審での再鑑定結果を認め、釈放することを決定した。
これをうけて、菅家さんは同日午後、千葉刑務所から釈放された。関係者によると、再審開始決定前の受刑者に検察当局が釈放を認めた前例はないとみられる。

菅家さんは、こんなコメントをしています。
「当時、急に犯人にされました。自分としては全く身に覚えがありません。無実で、犯人ではありません。これだけははっきりと言います」改めて無実を主張しています。
また、警察、検察に対しても、「間違ったでは済まない。この17年間ずっと思っていた。当時の刑事、検察官には謝ってもらう。絶対に許すことはできない。自分の人生を返してもらいたい。父も母もつらかったと思う」と怒りをあらわにした。

そりゃあそうでしょうよ。
本当に無実でこんな目にあうとなると、悔しさは想像を絶するものでしょう。
しかし、そこで敢えて個人的に思うことは、日本の警察は・・・国家権力を背景とした、ある意味で厳密で厳格な仕事をキチンと積み重ねてきて来たんだと思う。
それは、時として毅然とした態度であり、ぶっきらぼうであり、融通が利かない人格であったり、行き過ぎていたり・・・
しかし別の側面として、それゆえに優秀で世界に誇る成果を挙げて来たのだととも・・・。
そして、この菅谷さんにしてみれば、明らかにこの構図の犠牲者だったんだろうと。

こういう、ある意味で厳格過ぎて融通の利かない部分(仕事ぶり)が時代遅れになった時、つまり、そういったやり方や考え方が否定され過ぎる傾向になった時、言い換えると、容疑者の人権に対して最大限に配慮することを求められるようになった時、どういう社会になるのかは、ある意味で見えてくるような気もします。
容疑段階であったしても、人権云々を取り上げすぎると、かえっておかしな世の中になってしまうかも。普通の一般市民はどちらの傾向を望むのか?こういうこともしっかりと議論しておいた方が良いと思う。

ただ今回の事件のことだけをいえば、明らかにDNA技術の問題と、司法制度の腰の重さの問題であり、警察の問題は取調べ段階で一方的に決め付けて暴行を行なったというアナログな点だけかもしれない。
初期段階で800人に1人の精度でDNAを鑑定できていたのだから警察も自白させることに力が入るのも当たり前のような気もする。
お気の毒でしたでは済まされない悲劇ではあることに異論はないが、「絶対に許しません!」と言い切られると、「800人に1人と言えども、それなりの精度だったし、仕方なかったと言い切れる!」と言い返したい気持ちも少しは分かる。

2009年6月4日木曜日

天安門事件から20年 北京は厳戒態勢

中国で民主化運動が武力弾圧された天安門事件から4日で20年がたつと聞いて、その時間の流れの速さに正直ビックリしています。


添付の写真は、天安門事件当時にCNNが撮影した画像で、活動家の若者が戦車の前に立ちはだかっている写真で、事件当時にCNNが撮影した画像だそうです。
天安門事件は私が20代後半に起こった事件なのですが、その当時の中国は、少なくとも私達若者の中では全く話題にもならなければ、意識すらしない国でした。


多分その理由は、戦前戦後の歴史教育をまともにうけてこなかった当時の日本人の若者にとって、(それは今の若者も同じですが・・・)語るべき情報が殆ど準備されてなかったことと、そんな国のことを意識するより前に、憧れのアメリカカルチャーのキャッチアップで一生懸命だったからだと思う。
音楽もファッションもカルチャーも、「自分達の生活に取り入れて追いつきたい!」と考えてる若者にとって、「中国の若者の民主化活動を共産党政府に弾圧された!」と聞いても、正直ピンときませんでした。

しかし、これだけ中国の国力が増大し、歴史が広まり、否が応でも避けて通れない国になった今、この話題に関して、非常に高い関心が集まるのは当然のように思います。

結論から言ってしまえば、超大国になろうとしている中国は、経済こそ市場経済に移行して行っているが、民主化というレベルで考えると、議会制民主主義とは程遠い国で、20年前と何一つ変わっていないということは、その根底になにか底知れない不気味なマグマを秘めた暗黒大陸のような気すらします。

現時点で事件を報じる中国メディアはないらしく、北京では大勢の警官が配置されるなど厳しい警戒態勢が敷かれているそうです。

北京の天安門広場では4日朝、通常通り、日の出とともに国旗が掲揚されて、広場は観光客に開放されているけど、おびただしい数の警官が目を光らせて、厳しい警戒態勢となっているそうで、中国メディアも事件について一切触れていないというのもスゴイ!

あるメディアは、民主化を求める学生運動に理解を示した為に失脚して、今も民主化運動のシンボルとなっている故・趙紫陽元総書記の自宅への取材を試みたが、警官に阻まれ、認められなかったそうです。この趙紫陽元総書記は、私も記憶に残っています。かなりの親日家だったそうです。

北京市民は「(Q:20年前に何があったか知っていますか)20年前ですか…知りません」「(Q:天安門事件をどう思う?)そのころはまだ小さかったので」と、事件について口を閉ざしているらしいです。天安門事件は、犠牲者の数が当局の発表(319人)と、政府関係者の証言(727人)が大きく食い違うなど、20年たった今も事件の全体像は不明なままとなっています。

ちなみに我が家の中で「Free Tibet」のTシャツ姿を頻繁に見かけるのですが、今度は天安門Tシャツとか着られるとちょっと怖い。