2008年10月27日月曜日

橋下大阪府知事 「大阪の教育を考える府民討論会」で大いに吼える。 ~あるニュース報道を見て思うこと。

先日大阪で開かれた「大阪の教育を考える府民討論会」で、
橋下大阪府知事が「体罰容認」ともとれる発言や日教組攻撃で、吠えまくっていました。

あるべき論と権利ばかり振りまわすくせに、自分に課せられた義務に関しては真剣に考えようとしない人が多いことにストレスがたまり気味の自分自身の今日この頃ですが、内容の是非はともかく、溜飲が下がる思いでVTRに見入ってしまいました。

内容をざっと説明すると、
日教組がらみも含めて約700人が集まった会場は荒れ模様で、ある意味で文句言いのプロフェッショナル級の人達の集団を前に「教育日本一を目指す」という橋下知事に対して、「教員の数を増やしてくださいよ」など、ヤジと怒号が飛び交う中、「いい年をした大人なんだから、まず黙って聞きなさい。聞こえないじゃないですか」(会場から拍手)

「私は大阪の行政のトップで教育に責任がある。ところが、一部の職員は一生責任もとらずに公務員の身分保障の中で権利と文句ばかり主張しながらぬくぬくとやっている。どこの会社に、社長の方針に従わない部下がいますか?そんなのがいたら即クビでしょ?」(会場から拍手)

自ら日教組だと名乗る女性教師が、橋下知事が言った「くそ教育委員会とは暴言だ」と批判。さらに、先の中山前大臣の日教組批判を知事が支持する発言をしたことを、「今でもその考えは変わらないのか」と質問したのに対して、子どもたちをこんな先生に任せておけないんですよ」さらに、「中山大臣の発言は正しいじゃないですか。現場をみてくださいよ」(会場から拍手)

また、「なにか注意したりすると、保護者がワーワーいってくる。ちょっとごっつんとやったりすると、やれ体罰だと叫んでくる。こんなことで、赤の他人である先生が教育なんかできない。問題なのはどこまでそれを許すか。家庭なり地域のコンセンサスを形成していくことが大切と反論していた。

日時は違うと思うのですが、その他にも、高校生を相手にした意見交換会のやり取りのVTR内容もおもしろかった。

これも、内容をざっと説明すると、
府の財政再建の一環で断行した私学助成削減をめぐる意見交換で、男女12人の生徒を前に、冒頭から「僕も反論します」と本気モード。

母子家庭の男子生徒が、「中学でいじめにあったため、学力的に公立に行けなかった。」という事情を説明すると、「いいものを選べば、いい値段がかかる。条件を比較して、あなたが選んだのでは?」と一刀両断。
また、他の生徒が、「公立に行ける人数は限られている」との発言には、「保護されるのは義務教育まで。高校からは壁が始まる。そこで倒れた子に対しては、最後は生活保護がある」と反論。

バトルはさらに盛り上がって、「高校は誰でも入れる仕組みになっていない」とまで。
これらの発言に対して、高校生から「世の中の仕組みがおかしいんじゃないですか?」と意見が出ると、橋下知事は「僕はおかしいとは思わない。やっぱり16(歳)からは壁にぶつかって、世の中を理解する必要がある。今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってはくれない」
さらに、高校生から「それはおかしいです!」と意見が出ると、橋下知事は「それはじゃあ、あなたが政治家になって国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」とまで言い切っていました。

そのVTRの後での各コメンテーターの発言を私なりにまとめると、
・教育をはじめ、何にでも金がかかる。⇒ 当然の事
・質問する高校生側に知識がなさすぎて話し合いになってない。母子家庭で生活苦しいとかいってるのに私学に行く意味もわからない
・どうしようもなくなると泣く女子高校生はうぜえ。
・ちなみに橋下知事は、は私学助成全廃するとはいってない。本当に苦しい貧乏な家庭には助成金を残してる。あの女生徒はわかっててかみついてるのか?
・討論の様子を見たが明らかに勉強してなくて公立いけなかった高校生だとすぐ分かる。正論も馬鹿には通用しないってことか?

・・・・ごもっとも、理路整然とした成り行きでしたが、なんともまあ、ギスギスした社会になったものです。世直しの為にも、どこかで割り切って感情論を断ち切らないといけないということなのか?私は大阪府民ではないですが、高校生にやり込められるような知事じゃ情けないですが、ここまで論破しなければならなかったのか?という大人げのなさは残りました。

もちろん、「大阪の教育を考える府民討論会」の方は溜飲下がりました。「権利の主張に対しての義務・代償としての真摯な業務遂行」はコインの裏表ですよね。

2008年10月18日土曜日

ニューヨーカー短編集と短篇ベストコレクション現代の小説2008 (徳間文庫 )

2007年度に発表された日本人作家の短編の中から、日本文藝家協会が選んだベスト短編を21作品アンソロジー的にまとめたものです。
かなり有名な作家が多いのと、いろいろなテイストの小説が読めることが魅力のベストコレクションとあるだけにかなり期待をしましたが、かなりの失望でした。
多分このアンソロジーに偏りがあるからだとは思いますが、日本の作家の短編のレベルの低さにガッカリです。
「ニューヨーカー短編集」のような洒落た都会的なウイットを求めるのは厳しいのかもしれないですね。

有名どころで言うと、石田衣良、恩田陸、大沢在昌、山田詠美、桐生典子・・・石田衣良は、デビュー作の「池袋ウエストゲートパーク」はかなり読み応えがあったのに、その後の作品の「スローグッドバイ」「1ポンドの悲しみ」あたりになると、なぜか急に女々しい作風になって、「あ~、もうついていけない!」的な作家になってしまいました。
同様に恩田陸も、「夜のピクニック」はとてもいい作品だったので期待したんですが、これもまた才能を感じられないものでした。
もちろん、山田詠美も期待したんですが・・・。
・・・ということで、期待はずれのアンソロジーでした。

ニューヨーカー短編集

個人的には史上最強の短編集。
1925年に創刊された雑誌「ニューヨーカー」に掲載された短編小説を3巻に分けて収録したものです。収録されている作家は、その後のアメリカ文学史に欠くことのできない重要な作家のデビュー当時だったり、アメリカ文学を学んでいる人や好きな人しか知らないような作家だったり。
ある意味でアメリカ文学全体を俯瞰できる金字塔的な短編集といっても過言ではないと思う。
中でも白眉は、夏服を着た女たち/アーウィン・ショウ( Irwin Shaw)洗練された都会小説の名手です。

2008年10月14日火曜日

史上最強の人生戦略マニュアル ?


史上最強の人生戦略マニュアル フィリップ・マグロー (著),
勝間和代 (翻訳)

何故か知らないけど、ここのところ超売れっ子になっている経営コンサルタントの勝間和代さんが翻訳した「史上最強の人生戦略マニュアル」を読んでいます。書店の店頭に平積みされてました。
日経ビジネスの書評で「いわゆる自己啓発のカテゴリではあるが、社会心理学を学術的なバックボーンにしたドライな視点が新鮮で斬新」というふれ込みだったので手にしてみました。
結構ボリューム(400ページ以上)があって、中だるみしましたが、冷静な第三者的視点からの人生の指南書としてとてもいい内容でした。普段、この手の本は殆ど手にしない(興味ない)のですが、ある意味で素直に受け入れました。キャッチフレーズは、「人生には戦略があり、自分の視点で正しいことであっても、待っているだけでは何も解決しない。 」といいうものです。

自分が「正しい」と思うことだけを実行しても、人生はうまくいかない。
でも戦略を身につければ、理想の生活に近付けるかもしれない。 袋小路に見える人生に、希望の光が射してくるかもしれない。

訳者の勝間和代さんですが、最近テレビでも良く見かけますし、著書も売れているようです。個人的には「押しが強く、濃い」印象があります。著者じゃなく訳者で少しは救われましたが、著者がこの人なら、先入観でアウトになったように思います。
関係ない(かも)と思いますが、既に二度の離婚を経験しているそうです。2005年にウォール・ストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれたそうです。日本人的感性からするとちょっと脂っこい女性です。

2008年10月3日金曜日

歴史に学ぶ? 日経新聞「私の履歴書」 野依良治

「歴史に学ぶ」というキーワードを幾度となく目にし、耳にしてきましたが、僕が理解しているその意味は大体次のようなものだと思う。
先人が苦労し乗り越えてきた、あるいは挫折した苦難の経験から導き出されたある種の確信に対して、多くの人達はあまりにも軽視し過ぎているのではないだろうか?
つまり、連綿と繰り返される歴史的な事象のサイクルの中で、過去の歴史から学ぶべきものはたくさんあるはずなのに、なぜその貴重な教訓を未来への経験則として適用することが出来ないのだろうか?といった文脈になります。
例えば今回の米国経済の急激な失速に対する様々なコラムの中で、次のようなものがありました。
投資家にとって、最も損失を広げてしまう思考キーワードは「今回は違う! This time is different.」であるというものです。
何となく言いたいことはイメージできます。既に経験したものであっても過去の教訓を活かすことが難しいのに、経験したことのないことに対しての教訓を教訓として素直に受け入れられる人こそ、本当の意味で大きく成長できる人なんだろうなあと思います。
それ程歴史がない我々が属するITの業界でさえ、技術的なトレンドにサイクルは確実にあります。そのサイクルトレンドに対して、「今回の技術は全く違う革新的なアーキテクチャだ!」と思い込みたい気持ちは若い世代ほど旺盛だと思います。しかし、そこで先人の貴重な教訓を経験則として素直に取り入れられる人こそ大成するひとだと私は確信します。

話しは大きく逸れますが、日経新聞の最終ページに「私の履歴書」というコーナーがあります。
毎回、著名人が自分自身の半生を伝記風に語るもので、毎日掲載され、一ヶ月で完了します。従って、面白い人とそうでない人が出来てくるのですが、面白くない人の場合の1ヶ月間はあまり読む気になれません。9月は、野依良治さんというノベール賞を受賞した科学者だったのですが、申し訳ないのですがはっきり言って全く面白くありませんでした。
しかし、9月30日の最終日に掲載された内容は、とても胸が熱くなる名文でした。まさに辛酸を舐め、苦難を克服した偉人が語るからこそ響く言葉です。

野依良治 -------------------------------------------

70年前に日本に生まれた。半世紀にわたり自然科学を学び続け、教育と研究、また科学技術の世界に身を置いてきた。
多くの方々の指導と支援をうけ、実社会で経験を積みながら活動を続け、今日の私がある。先進欧米諸国と発展するアジア諸国の様々な側面を見る機会も得た。
志を抱く若者の本質は変わらずとも時代は移る。わが国は半世紀の間に経済大国たる目標を実現した。しかし、グローバル化や情報技術を含む著しい技術革新、女性の社会進出、少子高齢化、都市化や過疎化に伴う社会環境の激変によって、大人と子供、青少年の双方の行き方や価値観は大きく変容した。さらに経済効率偏重主義の蔓延による精神のゆがみは、多くの人が憂慮するところだ。

私自身、美しい自然と四季に恵まれた日本に生まれ育ったことを本当に幸せに思う。長年にわたって培われてきた文化は、誇りであり心のよりどころである。温故知新、次世代を担う若者も我々がどこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、自ら確認の必要があろう。人間形成には、家庭における子供の確実なしつけと徳育が大前提だ。責任を持ってお願いしたい。

戦中戦後の我々の幼少時代は本当に貧しかった。両親達から衣食住に関わる様々な事柄を習い、日々の生活を通じて実践し、家庭の一員としての責任感を培った。学校や地域社会からは、多用な友人達との関わりの中で社会規範、公徳心などを学び、社会に生きる術を身につけていった。そして我々の世代はどの国の人達よりも勤勉に働き、先人が築いてきた礎の上に豊かな文明を作ってきたとの自負を持つ。よき伝統とは継続に宿る本質である。
日本人が持ち続けてきた「かけがえのない」価値を是非若い世代に伝えたいと思っている。くわえて時代に応じた革新も必要だ。たとえば明日にいかなる世界が開けようとも、常に健やかな心を養い、まっとうな自然観と人生観をもって生きてなければならない。芸術や文学と共に、自然科学はこれを大いに助けるものであると信じている。

人々は皆、自律して豊かな人生を送りたいと願い、それぞれに知性と感性磨き、技術を身につける。しかし、立場の違う多くに人と対話し、理解しあい協調することなく生きてはいけない。節度ある行動は個人や法人団体のみならず世界中の国家にも求められる。極端な競争主義から協調主義に移行せずして、人類の存続も保証の限りではない。
今こそ二十世紀の軍事的、経済的統治ではない「文化的統治」が必要だ。現代、なにゆえに日本の国際的存在感が薄いのか。
我が国は国柄を依り明確に定め、日本人の価値観、思想の正当性をグローバルに発信、流布して理解を求めなければならない。四方を海に囲われた日本は、世界に開かれた国である。新しい世紀にふさわしい展望を持ち、他の国々と手を携え、広く人類社会に貢献する国をつくろうではないか。全ての世代の奮起を期待している。