2008年7月26日土曜日

思わず「ほんまかいな?」と言いたくなる「天皇の金塊」


 当社に投資して頂いている投資会社の役員さんから「面白い本なので絶対に読んで欲しい。」 と言われて、早速買ってみました。
この本を薦めてくれた方は、大手の証券会社からキャピタリストに転身し、
富裕層の資産家の方々とのお付き合いが深く、日本の社会の裏側に脈々と流れる「得体の知れない何か(人脈というか血脈というか・・・)」に薄々と気付いていたけど、多分こういうことなんだろうなあということが何となく分かったと おっしゃっていました。

内容は、

太平洋戦争中に、日本軍が中国や東南アジアから略奪した(半端じゃなく)莫大な金塊が、今でもフィリピンに残っていて、その金塊を基にして日本の戦後復興がはじまったと。

戦後の高度経済成長は、この金塊を信用保証にしたマネーを前提に、田中角栄が、
土地収用に関わる資金調達で償還金を引き伸ばすという錬金術によって産み出されたもので、田中は、手にした莫大な資金で官僚を懐柔する一方で、支持者にカネをばら撒き、日本の政治を、完全に金権政治に仕立て上げた。

また、このマネーを管理運用する黒幕は昭和天皇の一族で、
その後もバチカン系の金融機関で運用されたし、
フィリピンのマルコス大統領の失脚の真相もこの金塊にあった。


その他にも「Mマネー」に関することなどが書かれていますが、
胡散臭いのか真実なのかの狭間にゆれる微妙な内容がスリリングではありますが、
文体や表現力、言い回しなどは、個人的には全く好きにはなれませんでした。

真実かどうか?と言う点では、
しかるべき方の書評を見ても、かなりの部分に信憑性がありそうです。
確かに、世界を見ても、ロスチャイルドやロックフェラーの築いたマネーを中心に
世界のマネーは運用されているし、
フリーメーソンの人脈は今でも大きな影響力があると思います。

そんな中で、日本でも天皇一族を中心に莫大な蓄財がなされており、
それを中心に日本の経済が裏の社会の推進力となって展開されているというのも
ある意味で納得できました。

話しは、投資会社の役員さんに戻りますが、
その方は、こんなことも言っていました。
今、大分県で職員採用に際しての裏口採用で大きな問題になっているけど、
こんなことはどこの県でもやっているだろうし、
例えば、その際に支払われる謝礼金も公になっているような金額ではなく、
1人当たり1000万円は下らないだろ・・・と。
考えてみれば、例えば1000万円で教員(もしくはしかるべき公務員)として採用してもらえるのなら、仕事を一生懸命やる気が無いような人にとってみれば、
コネさえあれば借金をしてでもお願いしたいことだと思えます。

企業にとっても、
例えば1億円の政治献金で、それ以上のビジネスリターンが見込める裏工作なら
何とかお願いしたいと思う経営者も多いのではないでしょうか?
そしてそんなことは、普通に考えてもかなり当たり前に行なわれていると考える方が今の社会情勢なら正常な思考なのかもしれません。

口では奇麗事を言い、それを一般消費者に信じさせておきながら、
裏ではお金の為なら何でもやってしまう。
そんな企業ばかりじゃない!と思いたい気持ちは分かるけど、
資本主義の市場経済に身を置く以上、この原則からは逃げられない。
それが世界のグローバルスタンダードだとその方はおっしゃっていました。

「理想を追求する。」とか「社会に貢献する。」とか言いながら、
「お金儲け」が出来ないと誰も幸せにならないというのが真実かもしれません。
特に、我々のような小さなベンチャー企業にとっては。

2008年7月19日土曜日

「アジアで最も豊かな国」から転落した日本・・・どう思う?

大前研一:「アジアで最も豊かな国」から転落した日本

IMF(国際通貨基金)がまとめた調査によると、
2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになったそうです。
世界で見れば1994年には一人あたりGDPで日本は世界一で、
一昨年に17位に、そしてついに昨年の実績で22位に転落ということのようです。
もちろん為替の影響もあるので単純に言うことは出来ないです。
ただ、GDPの総額ではまだまだ日本は米国に次いで世界第2位の経済大国ですが、
これも、今のペースでいけば日本がGDP総額で中国に抜かれるのは3年後(2010年の数値)だそうです。

日本では、このことはほとんどニュースにもなっていないし、危機感がまるでないように思います。
政府の方も都合が悪いのであえて危機感をあおることはしたくないのかも知れません。
国別のGDP総額というのではなく、やはり一人あたりのGDPというのが、
その国の豊かさの指標だと思えるのですが、一概にそうでもないのかなあ?と思うのは、 例えば中国は、一人当たりのGDPは非常に低いのですが、人口が多い分、国としては当然上位に来ます。
でも、よくよく考えてみると、日本では社長も平社員も給与の差は非常に小さいけど、
例えば中国のように、搾取階級と被搾取階級(労働者階級)が明確に分かれていると一人当たりのGDPは低くても、果実を受け取る人達の数が少ない。
この構図はアメリカなどでも言えると思います。

その意味で、北欧諸国はかなりフラットな階級構成であると同時に一人当たりのGDPも非常に高く、
そしてその位置を長期間にわたって維持しているので、
幸せな国として成熟しているのがよく理解出来ます。
ご参考までに、「国の国内総生産順リスト - Wikipedia」を見ると結構楽しめます。

「付加価値の高い技術がある。」⇒「国民一人一人の生産性が向上する。」⇒
「GDPが高くなり、企業も儲かる。」⇒「個人の収入が増える&国家の税収が増える」⇒ 「個人も豊かになり、国家の社会サービスも拡大する。」
・・・というバラ色のスパイラルが理想ですが、
このスパイラルの中に腐敗したお役人仕事の比重が重かったり、
既得権ビジネスの比重が重かったりすると、
たちまち色あせたスパイラルになることはかなり容易に想像できます。

昔、「幸せ指数?」とかいったものがあったのを記憶しています。
結論として、現代社会では自動車も普及し、家電製品も充実し、
ライフラインなどの社会的なインフラも拡充されたにもかかわらず、
殆ど映画「Always三丁目の夕日?」のころの「幸せ度」と変わらないか、
むしろ落ちていると言う結果だったと思います。

便利なものを手に入れた代償として、
「豊かな自然(海や空や川・・・)」「人間同士の心の絆」・・・もっと言えば、
「朝日と共に目覚め、夕日と共に仕事を終えるといった純粋な仕事の喜び」
と言ったものを失くして来たのかも知れません。

2008年7月7日月曜日

洞爺湖サミットは、まるで「梁山泊」?水滸伝/梁山泊と洞爺湖サミット



「水滸伝(全19巻)/北方謙三」


宋の時代の中国を舞台にした冒険活劇の古典です。「梁山泊」という名前に聞き覚えがある方も多いと思いますが、それは実はこの水滸伝に出てくる好漢たちが集まってくる砦の事です。

この「梁山泊」というのが、今日から開催されている洞爺湖サミットの舞台となっている洞爺湖の中にぽっかりと浮かぶ「中島?」のイメージにそっくりで、

どうしても、洞爺湖サミットとこの水滸伝のイメージが錯綜してしまうのですが、梁山泊の方は、反政府のテロリストが集まる砦で、

洞爺湖サミットの中島の方は、世界の体制側指導者が集まっているという構図が何とも皮肉で面白いです。
ストーリーをすごく平たく言うと、政府の腐敗を憂いた有志が梁山湖畔に集い、

そこで私設の軍を結成し、宋という国と戦うと言うストーリーです。

壮絶な戦いの末に結局最後は敗れてしまうのですが、そこに登場する101名?のリーダーたちの生き様が主題です。

「三国志(全13巻)」に続いて北方謙三が手がけた中国歴史小説ですが、三国志の方は、吉川英治の三国志と比較すると圧倒的に読み劣りしました。

しかし、この「水滸伝」を読んでしまうと、三国志の方は水滸伝を完成させる為の習作だったんんだなあと思いました。
全19巻あるのですが、最初は単行本としてハードカバーで全部リリースされ、面白い面白いという評判は聞いていたのですが、読もうとも思わなかったですし、ましてや当然のことながら(ハードカバー全19巻は高価になるので)買おうとも思いませんでした。

しかし、去年の夏頃?に、文庫本化されて、最初の10巻が一気に発売され、その後は1ヶ月に1巻ずつ順次リリースされるという巧みなマーケティング術にすっかりはまってしまいました。

と言うのも、最初に第1巻だけ買って読んでみたのですが、これがまるで「インディージョーンズ」を見ているような、男たちの死に方をテーマにした一大スペクタクルで、

その後の10巻までを一気に読んでしまいました。その後、毎月1冊ずつリリースされるのが心待ちになるほど、面白かったです。

やっと、2ヶ月前にに最後を読み終えましたが、今はその続編の楊令伝のハードカバーを読み始めました。こちらの方は水滸伝の続編ではありますが、古典としての水滸伝のストーリーを北方謙三が発展させた内容になっています。


例えば映画「インディージョーンズ」は、映画の芸術性の観点で高く評価されることは皆無だということにかかわらず、エンタテイメント性においては理屈ぬきに無条件に楽しめる作品であることに異を唱える人はないと思います。

それと同様にこの水滸伝は、はっきり言って、歴史の勉強になる訳ではなく、文学的に素晴らしいと言う訳でもないのですが、とにかく読み出すと止まらない面白さがありました。


さて、洞爺湖サミットですが、今回のサミットのテーマは、かねてから二酸化炭素(CO2)の削減、つまり地球環境問題だといわれていましたが、結論から言えば、地球環境問題よりも大きなテーマが出てきている状態だと思えます。

それは、物価高騰問題です。

将来的な崇高な理念目標よりも、まずは目先のガソリンや食料品の高騰をなんとかせい!ということかもしれません。

サミット宣言案は、原油・食料高の影響で「世界経済は不確実性と下ぶれリスクに直面している」と指摘し、「強い懸念」を表明しています。


梁山泊のリーダー達のような、人間的な魅力に溢れて突進力のある政治家はいつになったら出て来るんだろう?

2008年7月5日土曜日

やっぱり複雑・・・「坂の上の雲」


「坂の上の雲/司馬遼太郎(全8巻)」

「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」と読み返そうと思い、「竜馬がゆく」は、すんなり読んで、次の「翔ぶが如く」は、三巻目でちょっと小休止。
先にこの「坂の上の雲」を読み返しました。
NHKのスペシャルドラマとして初めて映像化する為の撮影が始まったそうです。
ドラマは、2009年秋から11年秋まで、3年間をかけて随時放送され、その企画から放送終了までは、約10年という長期間プロジェクトになるようです。

この小説は、司馬遼太郎の最高傑作とされています。
ストーリーは、明治維新後、急激な速度で近代国家となりつつあった日本で、日清戦争に勝利し、
後の講和条約で大国ロシアに日本領土を脅かされ、
国の未来と日本人の意地をかけてロシアと戦争をするという、
客観的に見ると、殆ど勝ち目のない戦争で日本を鮮やかな勝利へと導いた、無名の男達の群像を描いた長編歴史小説です。

その内容に関して私がどう感じたか?とかを語ろうと言う、そういった僭越な気持ちは全くないのですが、その舞台となっている「中国/大連」に関しての、個人的な思い入れとして、非常に強烈なメッセージを感じました。

大連に100%のIT子会社を設立して早くも4年が経とうとしていますが、
6年前に初めて現地に足を踏み入れる前までは、中国は、「これから発展していこうとしているアジアの中の大きな国」という、ごくごく一般的な知識(イメージ)しか持ち合わせていませんでした。
今後、中国においてITは急速に発展するであろうし、そういった背景の中で、優秀で安価な知識労働者を容易に確保して、ソフトウェア開発コストを圧縮したいというのが、初めて中国を訪れた理由でした。

しかし、足を踏み込んだその地は、明治から太平洋戦争までの歴史における日本人として忘れてはいけない何かを考えさせる街でした。
まさに、この「坂の上の雲」で描かれている日露戦争での勝利以降、太平洋戦争での敗戦まで、(つい60年前まで)そこは日本だったということを私の感覚として(日本における近代史の教育の結果として)、全くリアリティが持てなかったのです。
現地には日本語を話すことが出来るお年寄りが大勢残っていたし、
(ロシア政府が建てた物であるにせよ、)日本政府が使った昭和初期風の建物が立ち並び、 そして何より、日本を、そして日本人を憎む人達が未だに大勢いる街でした。
日本の歴史教育におけるこの時代教育の欠如に気付いた事が、私自身の大きなカルチャーショックと言えるかも知れません。もちろん同時に、中国政府による歴史教育のあり方にもです。

小説としての「坂の上の雲」に感動するということは殆どありませんでしたが、
その内容としての歴史認識と、日本人が、まだ誇り高い民族だったころの、軍人たちのすがすがしさに感動しました。
行動の中身とか結果ではなく、こころの持ちようとしての軍人にです。

あまりに辛かった「イニシエーションラブ」



速読が苦手な私としては、駄作にあたってしまうと、すぐに投げ出してしまうことも多いのですが、この「イニシエーションラブ/乾くるみ」のあまりのお粗末さに開いた口がふさがらなかったので・・・。
本屋の店頭POPと本の帯に『必ず二回読みたくなる小説』とあったし、まあまあ有名なこの作家「乾くるみ」でもあったので、気軽に読み始めました。
恋愛小説としてはあまりに稚拙な文体とストーリー展開に呆れて、「や~めた!」と、いつもの通りに10分おきに投げ出そうとしましたが、
トリックのある展開というのも分かっていたので一応最後まで読み通しました。はっきり言って苦痛でした。
そのトリックに関しては奇をてらったものではあったんですが、確かに素直に感心しました。しかしながら、恋愛小説としては、あまりにお粗末過ぎる著者の力量にビックリです。「二回読みたくなる。」は、トリックを確認する為に読み返すのであって、二回読みたくなるほどの内容ではなかったということでしょう。どうでもいい一冊なのですが、今どきこの程度で話題になったこと自体が驚きでした。

小説に限らず、映画や音楽、絵画に至るまで、その本質的な価値について、そこに何を求めるかによって評価が全く違ってきます。
多分、音楽で言えば、素晴らしい音楽は誰が聴いても素晴らしいと感じるものだと思うのですが、その素晴らしさのレベルがどの程度の素晴らしさなのかを理解できる人と出来ない人の間には天と地ほどの感動の質の違いがあるように思います。
ただし、それを理解出来るようになる為には、聞き手としてのその為の努力がなければ成立しません。
例えば、この音楽は「誰それのどの時期の音楽をどのように展開させて何を目指しているか?」と言うような歴史的背景的な意義を理解できてこそ、本質に迫れると思います。
一言で「このワインおいしいよね。」といっても、そのおいしさが2000円のおいしさなのか30万円のおいしさなのかが理解できなければその感動はどうしても表面的なものになってしまうと思うのです。

直木賞作家の開口健さんが、知ってしまった以上、どうしても「あの時のあれ」と比較してしまうことに関しての良し悪しについて、「知の悲しみ」と言う言葉を使っていましたが、ソクラテスの「無知の知」の対極にある考え方ですね。
・・・しかしまあ、それにしてもこの「イニシエーションラブ」は、煮ても焼いても食えんでしょう。

2008年7月1日火曜日

日経ビジネスの特集/世界の投資賢者が明かす!

日経ビジネスの特集で「世界の投資賢者が明かす!」が面白かった。
言わずと知れた「ウォーレン・バフェット」「」ジム・ロジャーズ」「クリストファー・ウッド」の3名がそれぞれの持論を展開していますが、あらためてウォーレン・バフェットの言葉の重みを感じます。
彼は今年の米フォーブス誌の長者番付でビル・ゲイツを抜いて世界一の富豪となった今でも、ネブラスカ州の片田舎で質素な家に住み、清貧な生活を送っています。
彼が経営する投資会社の「バークシャー・ハザウェイ」の1株当たりの純資産は、1965年に19ドルだったのが、今では7万8000ドルです。何と、約4000倍ですね。彼の投資哲学は、非常にシンプルで、

・事業内容が私に理解できること。
・短期的ではなく、長きに渡って成長が期待出来るビジネスであること。
・誠実で有能な経営者がいること。

というのが大前提の鉄則だそうです。
しかし、マネーゲーム的な短期投機の繰り返しを言下に否定してしまうと、技術指向のベンチャーが育つ余地はなくなるので、全てが納得という訳ではないですが、誠実で有能な経営者を見るというのは、(身につまされますが)納得できるところです。
面白いのは、「みんながやっているから」という理由では決して投資しないそうですが、その理由は、「他のみんながやっているという以外の理由が見つからない場合は、何かが間違っているからだ。」という確固たる信念を持っているところです。
また、彼ら3人が共通して言っている共通のキーワードは、「これからはアジアの時代」です。
ジム・ロジャーズなどは、大富豪であるにもかかわらず去年ニューヨークにある住居と米ドルを売り払い、シンガポールへ引越しましたが、そのときのコメントが、「21世紀は中国を中心としたアジアの時代になると確信している。アジアに住まいを移すということは、1800年に英国に渡る、あるいは1900年に米国に渡るに等しい、1世紀に渡る繁栄が見込める土地にたどり着いたということだ。」です。

日本は、激流のアジアの中でどういうポジションを目指すべきなのでしょうか?