2009年12月31日木曜日

日本辺境論 (新潮新書) (新書)

内容は(「BOOK」データベースより)

日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。

常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。

日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。

丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。

簡単に要約すると、日本人は所詮、米国や、欧州、中国、ロシア、などの大陸人的な発想が出来る民族ではない!
それらの大国の陰で歴史的にも常に辺境にすむ民族として生きてきた。
そんな特異な民族の特性は、主導的で独創的なスタンスを発揮することは出来ない代わりに誰かの真似を完璧にこなすことが出来るという資質がある。

だから柄にもなく背伸びはせずに、辺境人らしく良いところを認識しよう!という内容です。

辺境性からくる欠点は確かに多いけど、日本が長い歴史を生き延びて、そこそこのポジションを占めていられるのも、辺境性を逆手にとるような優れた文化装置が編み出されたからということらしい。


日本人よ、開き直れ!というメッセージでした。


パジャマで観えるシネマコンプレックスが閉館!最後に「アバター」


パジャマで家を出て、殆ど誰にも見られずに観ることが出来る映画館だったのにここのところあまりにも人がいなさ過ぎるよな~と思っていたら、残念ながら閉館!
自宅のドアを出る⇒駐車場に行く⇒映画館ビルの地下駐車場に停める⇒エレベータで映画館階に上がる⇒自動発券機でチケットを受け取る⇒席に座る⇒観る!このパターンがなくなると思うと寂しくて、思わず「アバター」を観に行って来ました。
3Dじゃないけれど、感想から言うと、期待していなかっただけにかなり大満足。ジェームズ・キャメロン監督なのでヘボくはなりようがないとは思ったけど、この圧倒的な3D/CGの表現力は一体どういうことだろうと感心してしまう。
ここまでのリアリティーを持つ完成度が実現できるのであれば、これからの映画は新しいステージに移行していくんだろうなあと確認できる。
例えば、「アラビアのロレンス」や「ベンハー」や「十戒」・・・があの大スペクトラルを撮影する為にどれだけのコストをかけたのか?実写じゃないとあのリアリティを出せない為にCGに流れなかったのに・・・
地球人の主人公は戦争で負傷して下半身不随になった海兵隊員の設定なんだけど、そのこと自体はストーリー上あまり意味を持たないにもかかわらずその設定にしていることが、この映画の中にある種の色彩を添えているように思う。

2009年12月25日金曜日

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) (新書)

先日出会ったCAD会社の社長さんがご自身のメールの署名に「"社長"の絵日記というブログを公開してます」と書いているのを見て、やっぱりブログ再開せなあかんな!・・・・・と。

ただ、あまり公にプライベートを語るのはやっぱり性に合わないので、以前のままで。



で、さっそく、以前少しだけ読んでいて、続きを先日読み終えた本です。第一回科学ジャーナリスト賞受賞とか、サントリーの何とか賞とかとっています。結構評価されている本です。


生命とは何か。 何が生物と無生物を分けるのか。 この本には、これらの問いに対して、分子生物学者としての著者の意見が書かれていますが、単に分子生物学的な観点だけではなく、著者の科学者としての回顧録的な内容を同時に盛り込んだ上に、文章表現も文学的に練り直しているところが、ブックカバーにもあるとおり「極上の科学ミステリー」になっています。

結果的にもっと科学的内容を突き詰めて読みたい読者には不評で、逆に僕のような素人読者にとっては本当に面白いと思えてしまうところが賛否の評価が分かれる理由だと思いました。


さて内容ですが、 大いなる時間の流れの中で、エントロピーの増大に抗うように秩序を形作ること、それこそが生物を生物たらしめ、そのダイナミズムの中に生命の息吹を見る。

これが、本書における著者の答えです。
人体を構成するすべての分子は流動的で、食事をしたそばから新たな分子と入れ替わっていっていて、数ヶ月間会っていない友人に再会した時、そのすべての分子は前に会ったときとは別のものへと置き換わっている。

つまり、分子生物学的には、彼は”別人”という事になるといった表現は素人読者にはタマらん!
事実は小説よりも美しい。 生命の縁に立ち、ミクロの世界で巻き起こる事実を目の当たりにすることは、感動以外の何物でもないと思うし、生きるとは何かを考え直すきっかけを作ってくれるような内容になっています。


この本を読んでいる時に同時に「NHK/BS」で「世紀の難問、リーマン関数に挑んだ数学者たち」という番組が放映されていました。

この番組の主題は、純粋に数学的な問題とされている素数の配置についても、宇宙の原理原則と密接に結びついたある種の法則に則っていて、その法則は生物の誕生や営みにも本質的に関係しているという内容でした。

これに関してもは別途違う本を読んでみたいなあと思っています。

2009年9月5日土曜日

社員のモチベーションは上げるな! (単行本)    宋 文洲 (著)

こういう逆説的な本が最近結構多いです。
内容については多くはコメントしませんが、以下のようなチャプターが面白かったです。

「モチベーションを連発する会社ほどダメになる=業績が悪い」

「楽しい職場は仕事への本質的なモチベーションを下げる」  

『怒るな、叱れ』は大間違い」

「部下をほめてはいけない」  

「わかっていない『商品企画部』が売れないものを量産する」  

「指示を出せない上司は、仕事ができない証拠」  

「ダメな上司ほど、サービス残業をさせる」  

「精神論で押し切る会社は、末期状態!」  

「面接で研修制度について質問する人は採用してはいけない!」  

「『能率』と『効率』は似て非なるもの!」  

「屈辱を味わうと、根性が身につく」  

「努力している“つもり”が一番タチが悪い」  

「悪平等が蔓延している」



簡単に言うと、社員が抱く「意欲」と客観的な結果である「業績」の関係について述べた本です。次の四点がポイントで様々な例証を挙げています。

第一に、日本企業の経営者や管理職は、社員の主観的な「意欲」を上げようと様々な試みをしているが、結果である「業績」と結び付いていないこと。

第二に、社員の側も会社にモチベーションを上げてほしいと期待している場合が多いが、それが結果である「業績」と結び付かないこと。
第三に、真の「意欲」は「渇き」や「飢え」、「屈辱感」などによっておのずと湧き上がってくるものであって、会社や管理職が左右できるものではないこと。

第四に、経営者や管理職が社員の主観的な「意欲」を重視すると、弊害がきわめて大きいこと。


例えば、面接で研修制度について質問する人というのは、恋愛の感情を抱いている相手方に向かって「あなた、どうやって私を愛してくれますか?
何をプレゼントしてくれますか?」と尋ねるようなものだから、雇ってはならない

とか、

ブティックなどで「とてもよくお似合いですよ」とお客をほめるのは商品を買ってほしい以上営業トークとして不可欠だが、
社員(部下)を日常的にほめるとほめられるのに慣れてしまってほめてくれないと仕事をしなくなるので毒になる、などの類です。


ほめてほめてやる気を出させよう的なムードの本が多かった今まですが、
普通に考えて、そんな甘いことを言っているのは日本だけなんだとハッとしました。

2009年8月29日土曜日

しがみつかない生き方

しがみつかない生き方
「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール
香山リカ/著
結構ベストセラーに近い売上があるようです。本の帯に「“勝間和代”を目指さない」というのがバーンときていて、これで思わず買ってしまったのは私だけではないはず。
書籍紹介は、以下の通り。
平凡で穏やかに暮らせる「ふつうの幸せ」こそ最大の幸福だと、今、人々はやっと気がついた。
雇用、医療、介護など社会のセーフティネットは重要だけれど、自分の外に求めるだけでは、人生はいつまでも満たされない。
「ふつうの幸せ」を手に入れるには、「私が私が」という自慢競争をやめること。お金、恋愛、子どもにしがみつかないこと。
物事の曖昧さ、ムダ、非効率を楽しむこと。
そして他人の弱さを受け入れること-脱ひとり勝ち時代の生き方のルールを精神科医が提案。

って言う内容です。念のために目次は以下の通りです。

序章 ほしいのは「ふつうの幸せ」
第1章 恋愛にすべてを捧げない
第2章 自慢・自己PRをしない
第3章 すぐに白黒つけない
第4章 老・病・死で落ち込まない
第5章 すぐに水に流さない
第6章 仕事に夢をもとめない
第7章 子どもにしがみつかない
第8章 お金にしがみつかない
第9章 生まれた意味を問わない
第10章 “勝間和代”を目指さない

個人的な結論を言うと、目次のタイトルはまさにピッタンコで琴線に触れ、共感しますが、内容は個人的な思いとか感覚とはかなり違っていました。
この著者は精神科医で、ヒーリングカウンセリングを日々おこなっているせいか、こういった主題に対しての結論は一切書いていないですし、サジェスチョンのような暗示にも踏み込んでいません。
ですので、そういうものを期待すると全く違う、もっとお気楽な読み物的なものですので、肩透かしを食うかもです。

こういう時代というか、生き方というか、これからかなり盛り上がってくる予感があります。
明日は総選挙ですが、濃すぎる性格と得体の知れない語り口の政治家はなんだか胡散臭いですね。

2009年8月21日金曜日

気に入らん! ボルトとブブカ

20日にベルリンで行われた、世界陸上男子200メートル決勝は、
ジャマイカのウサイン・ボルト選手(23)が19秒19の世界新記録で優勝。0.3メートルの向かい風をものともせず驚異のタイムを叩き出し、同100メートルと合わせ「世界新2冠」を達成しました。

いったい、どこまでタイムを縮めるのか。


ただ、今朝のニュースでやっていた200メートル決勝の速報VTRを見ると、どうみてもゴール付近手前から「流している」気がしてなりません。
もちろん、予選では思いっきり手を抜いていて、決勝にパワーを温存してるのは周知の事実だったのですが、明らかにこの決勝でも「流している」・・・と感じるのは私だけだっただろうか?


話は変わりますが、セルゲイ・ブブカというウクライナ出身で「鳥人」といわれ、世界記録を35回更新した選手がいたのは記憶に新しいと思います。
彼は2000年のシドニー五輪後に引退しましたが、6M15cmという記録は10年たった今でも破られていません。

そんな彼は引退後に、「お金のために世界記録を小刻みに更新し続けた。」と公言しています。
ホントかウソか知りませんが、練習中に7Mを跳んだ!という噂まであるそうです。


そして話はウサイン・ボルト選手に戻りますが、200M決勝のあの走りは、やはり「流し」ではないのか?競技そのもので大金を手にすることはできないであろう陸上競技において、この走り方はやはり気に入らん!

2009年7月31日金曜日

自民党のマニフェスト自己評価

いよいよ総選挙が迫って、各党それぞれのマニフェストが出揃ってきた。

どの党のマニフェストも、まだ読んではいないのですが、自民党に限って言えば、前回4年前に国民に約束したはずのマニフェストに対しての結果報告というか、総括としての自己評価は何らかの形で出してくる責任はごくごく普通に考えて絶対にあるよなあ~と思っていました。


ということで、(あたり前と言えばあたり前だが)昨日その結果が報告されたようです。当然のように自己批判を予想していました。「国民の皆さん、申し訳ございませんでした。次のマニフェストこそは頑張ってやり遂げます!」的なものです。
しかし、何と!(私は予想すらしていませんでしたが、)かなりの項目で目標達成という高い自己評価を報告したそうです。やっぱりアカンな、このおっさん達。

一般ピープルの予想を楽勝で飛び越えていくその能力はスゴイ!


それに対して、民主党の岡田克也幹事長の定例会見はかなりお見事でした。

自民党が2005年の衆院選で掲げたマニフェスト(政権公約)の達成度で高い自己評価を下したことについて「マニフェストの項目を7、8割実現した!と豪語して、国民生活がこの現状ということであれば、それはそもそも(マニフェストが)最初からおかしかったということになる」と自民党の対応を厳しく批判。

また同時に、自民党のマニフェストについて「ざっと中身をみると、マニフェストというのは4年間の任期の中でやるというものであるにもかかわらず、ずいぶん先の話、国会議員の定数3割削減を10年後とか、これは果たしてマニフェストなのかというものが非常に多い」と冷ややかな見方をした。

ということだそうです。おっしゃる通りですね。


個人的に特に民主党に肩入れするつもりは全くないのですが、民主党のマニフェストに対して、大盤振る舞いポピュリズムだと批判する自民党ですが、確かにご指摘の通り、これは迎合し過ぎかな?と首を傾げたくなる内容ではありますが、そのことを自民党が指摘すること自体がどうなんだろう?と思ってしまう。

なぜなら、このような状況を作り出したのは政権与党であった自民党なんだし、民主党はまだ一度も自分達で政権運営の舵取りをやっていないのだから・・・。

2009年7月24日金曜日

米朝が言葉の場外乱闘!

北朝鮮外務省報道官が

クリントン国務長官は「知性が感じられない」などと発言したことに対し、「愚劣なのは、国民を養うに足る食べ物よりもミサイルの生産を選んでいる北朝鮮政府だ。北朝鮮政府が選んだ道こそ知性がない」と反論したそうです。

ことのきっかけは、クリントン長官が20日、米テレビの報道番組で、北朝鮮を「小さい子供」や「手に負えない若者」になぞらえて、「相手にしてはいけない」と突き放したことが原因で、
それに対して北朝鮮は23日、クリントン長官を「小学生」「市場を歩き回るおばあさん」などと呼んで非難し、また同時に、、「米国の敵視政策と核の脅威に対処して必要な措置を講じているだけ」、「米国が先頭に立って無駄な騒動を起こしている」、「誤った言動には当然の代価が伴う」と反論。
そして、それに対しての再度のクリントン長官からのメッセージが冒頭の「愚劣なのは~」につながったようです。

まさに子供の喧嘩の場外乱闘ですね。北朝鮮に核放棄を迫る6か国協議が完全に停滞する中でこんなレベルのやり取りをしている国家であっても核保有国であることに背筋が凍ります。

2009年7月7日火曜日

新疆ウイグル自治区で起きた騒乱

中国・新疆ウイグル自治区で起きた騒乱のニュースで我が家は盛り上がっている。
チベット自治区での解放運動に続いて、今度はウイグル自治区での民族隆起となっているが、欧米の反応はチベットほどではないところが欧米人のいやらしさを感じてしまう。

超簡単にこのウイグルでの民族問題を整理すると、チベットも同様の背景ではあるのだが、豊富な地下資源などを埋蔵する広大な地域に先住民として暮らしている少数民族の土地に、人工の90%以上を占める漢民族がなだれ込み、その利権と利益を搾取する貧富の構造に対して、これらの少数民族が反発しているというのが基本構図だと思う。

そしてその構図の上に中国共産党政府が強力な武力統制を行っていることと、さらに恐ろしいのは「民族同化政策」として、流れ込んだ漢民族と先住の少数民族とを積極的に同化(結婚)させることによって、民族間の闘争と言う構図を薄めようとしている点だと言える。

チベット騒乱の場合は、ダライラマを精神的な支柱とした仏教徒の文化大革命以来の漢民族への反発があると思いますが、今回のウイグル自治区は、基本的にイスラム教です。欧米思想とイスラム教は、9.11以降更に折り合いが悪くなった上に、瀕死の状態の米国経済における最大の国債購入国が中国であるということもあって今回のウルムチでの騒乱に対しては、かなり静観している感があります。

しかし、ウルムチで始まった騒乱も、ウイグル自治区内の他の自治州などにも飛び火している状態になっており、政府軍の力ずくの鎮圧が気になります。
中国指導部が最も懸念するのは、ウイグル族の不満が連鎖的に爆発することがと思うけど、周辺各地で同様の暴動が発生して他の少数民族にも波及すれば、事態の深刻化は免れないような気もする。
政府はは現地でインターネットを遮断し、国際電話をかけられないようにするなど情報統制をさらに強化する見通しらしい。
事実、新華社電によると、自治区当局は7日、夜間外出禁止令を出し、漢民族の住民側は中国の国歌を歌いながら「民族分裂主義に反対する」「犯罪者に正義を」「ウイグル族を殺せ」などと叫び市内を行進したうえ、武装警察部隊が設置した検問所も突破し、通りを埋め尽くしたそうです。

我が家で今度は”Free ウイグル!”のTシャツを見ることになるのか?

2009年6月27日土曜日

マイケルジャクソン死す!そしてチャベス大統領

彼が偉大なアーティストであったかどうかについては、疑問ですが、偉大なエンターテイナーであったことは、この訃報に対するマスコミの騒動を見ても間違いなさそうです。
ただ、彼の逝去については個人的にあまりピンとこないので、この騒動は一体どうしたことだ?と思ってしまいます。記憶をたどっても、彼のどれかのアルバムを通して聞いたことはないと思うし、通して聞きたいと強く思ったこともないと思う。
私にとっとは、間違いなくアーティストではなく、エンターテイナーだったし、ダンスを中心としたその種のエンターテイメントにあまり興味もなかったので、この一連の報道の中でベネズエラのチェベス大統領のコメントに思わず納得してしまった。


ベネズエラのチャベス大統領は報道のあまりの大きさにうんざりしながら批判して、「人は誰でも死ぬ。ほかにニュースがあるだろう」と話した。





ここで話題はこのチェベス大統領に移る。


このチャベス大統領はかなりの筋金入りの人物です。
良い悪いは別として、日本にもこんなリーダーの登場を期待してしまう気持ちは大いにあります。彼の伝説的な国連演説を以下にご紹介します。(かなり端折ってます。)この演説は2006年9月の国連総会のものですが、この当時の米国大統領はブッシュで、その後のイラク戦争~強欲金融経済破綻へと連なります。世界で今なにが起こっているのか?もしくは起こりかけているのか?そのヒントがこの演説にあるかもしれません。
長文ですが、ホントに面白い。



チャベス国連演説 -----------------------------------

議長、大使、国家元首、首脳や他の政府代表者のみなさん、おはようございます。
第一に、敬意を表して、ノーム・チョムスキーによるこの本を強くお勧めします。チョムスキーは、米国と世界で高名な知識人のひとりです。彼の最近の本の一つは『覇権か、生存か――アメリカの世界戦略と人類の未来』です。(この演説により、アマゾン等のベストセラー・ランキングで1位になったという。)
20世紀の世界で起きたことや、現在起きていること、そしてこの惑星に対する最大の脅威――すなわち北米帝国主義の覇権的な野心が、人類の生存を危機にさらしていること――を理解するのに最適な本です。
我々はこの脅威について警告を発し続け、この脅威を止めるよう米国人彼ら自身や世界に呼びかけて行きます。この本から引用することを考えましたが、時間の都合上、ただ推薦するにとどめておきます。容易に読むことが出来ます。これはとても良い本です。

(拍手)

この本をまず読むべき人々は米国の兄弟姉妹たちである、と私は思います。
なぜなら彼らにとっての脅威は彼ら自身の家にあるからです。悪魔〔el diablo〕は本国にいます。悪魔、悪魔彼自身はこの家にいます。そして悪魔は昨日ここにやって来ました。(前日にブッシュの演説があった。)

(拍手)

昨日、悪魔はここに来ました。正にこの場所に。ちょうどここに。〔十字を切る〕今日となっても未だに硫黄の臭いがします。
皆さん、昨日この演壇から、私が悪魔と呼んだ紳士である米国大統領は、ここに上り、まるで彼が世界を所有しているかのように語りました。
全くもって。世界の所有者として。私が思うに、精神科医を呼んで、米国大統領によって成された昨日の声明を分析してもらうのもいいでしょう。
帝国主義の代弁者として、世界の人々を支配し、搾取し、略奪する現行の形式を維持するために来たのだ。アルフレッド・ヒッチコック映画がシナリオとして使えるでしょう。
タイトルを提案もしましょう。『悪魔の処方箋』と。

ここでチョムスキーが詳しく述べているように、米帝国は自らの覇権の体制を強固にするために、出来得る全てを行っています。我々は彼らがそうすることを許すことは出来ません。
我々は世界独裁が強固になることを許すことは出来ません。世界の保護者の声明――冷笑的、偽善的、全てを支配するという彼らの欲求からくる帝国の偽善で溢れています。
彼らは彼らが民主主義のモデルを課したいと言います。だがそれは彼らの民主主義モデルです。
それはエリートの偽りの民主主義であり、私の意見では、兵器や爆弾や武器を発射することによって強いられるという、とても独創的な民主主義です。
何とも奇妙な民主主義でしょう。アリストテレスや民主主義の根本にいる者たちは、それを認知できないかもしれません。どの様な民主主義を、海兵隊や爆弾で強いるというのでしょうか?

米国大統領は昨日、正にこの場所で、この部屋で我々にこう述べました。引用です。
「何処を見渡しても、過激派が暴力、テロや殉教を通して、貧困から逃れ、威厳を取り戻すことが出来る、と告げている。」彼が見渡す如何なる場所にも、彼は過激派を見ます。
そして貴方、我が友よ――彼は貴方の色を見て、そこに過激派がいる、と言います。
ボリビアの大統領閣下エボ・モラレスは、彼にとって過激派に見えます。
帝国主義者らは、至る所に過激派を見ます。我々が過激派であるということではありません。
世界が目覚め始めている、ということです。至る所で目覚めています。そして人々は立ち上がり始めています。
私の印象では、世界の独裁者様、貴方は残りの人生を悪夢として過ごすでしょう。
なぜなら、我々――米帝国主義に対抗する全ての者たちや、平等や尊重、諸国の主権を叫ぶ者ら――は立ち上がっているのだから。我々を過激派と呼ぶことは出来ます。
だが、我々は帝国に対して立ち上がっているのです。支配のモデルに対して。
大統領は――これは彼自身述べたのですが、こう言いました。
「私は中東の人々に直接語るために来た。わが国は平和を望んでいると伝えるために。」これは真実です。もしブロンクスの通りに赴き、あるいはニューヨーク、ワシントン、サンディエゴ、いかなる町でも、サンアントニオやサンフランシスコを歩き回り、個人に、米国の市民に何をこの国が望んでいるのか、平和を望んでいるのかを聞けば、彼らは、はいと答えます。
しかしこの政府は平和を望んではいない。米国政府は平和を望んでいない。それは戦争を通して、搾取や、略奪、覇権の体系を利用しようとしています。
イラクで何が起きているでしょう? レバノンでは何が起きたでしょう? パレスチナでは? 何が起きているのでしょう? 
過去100年間に中南米や世界で何が起きてきたのでしょうか? そして今ベネズエラを脅しています――ベネズエラに対する、イランに対する新たな脅威?
彼はレバノンの人々に語りかけました。あなた方の多くが、自宅や地域社会が十字砲火を浴びるのを目撃した、と彼は言いました。どれだけ人は冷笑的になれるのでしょうか? 
慎ましやかに嘘をつく、何という力量でしょう。ベイルートにおけるミリメーター単位の精密な誘導爆弾? これは十字砲火でしょうか?彼は、腰から銃を抜き撃ち、誰かが十字砲火を浴びる西部劇を思い描いています。これは帝国主義者であり、ファシスト、暗殺者、大量殺戮者であり、帝国とイスラエルがパレスチナとレバノンの人々に発砲しているのです。これが、起きた事です。そしていま、「我が家が破壊されたのを目撃したので私達は苦しんでいる」と聞かされる。

米国大統領は人々に語りかけるためにやって来ました――世界の人々に。彼はこう言うために来ました――私はある文書を持ってきました。それは、今朝私はある声明を読み、彼がアフガニスタンの人々、レバノンの人々やイランの人々と話をしたことが分かったからです。彼は直接これらの人々に演説しました。そして米国大統領が世界の人々に演説している間に、人は不思議に思う。発言する機会が与えられたならば、世界の人々は彼に何を伝えるのか? 彼らは何を言いたいだろうか?
南の人々、迫害された人々が考えていることを私は薄々感じています。彼らは、「ヤンキー帝国主義者、祖国に帰れ」と言うでしょう。もし彼らにマイクが渡され、米帝国主義者に一つの声で伝えることができるなら、人々はそう言うであろうと思います。この部屋にいる如何なる者も、この機構を擁護できるとは私は思いません。認めようではありませんか――誠実になりましょう。第二次世界大戦後に生まれた国連の機構は瓦解しました。価値がありません。
もちろん、一年に一度互いに集まり、出会い、発言をし、あらゆる種類の分厚い文書を準備し、昨日のエボやルラ大統領のスピーチのような素晴らしい演説を聴くのは良いことです。その様なことにとっては適切です。そして沢山の演説があり、我々は例えば、スリランカの大統領やチリ大統領から多くを聞きました。だがこの総会は単なる審議機関へと変えられました。我々は権威を持ちません。世界の悲惨な情勢に影響を与える権威を。これこそがベネズエラが再び、ここで、今日、九月二十日に、国際連合の再建を提案する理由です。
昨年、議長、我々は決定的に重要であると我々が感じる四つの穏当な提案をしました。我々は責任を負わなければなりません。我々の国家元首、大使、代弁者は。
そして我々はそのことを論じなければなりません。
第一は、新しい先進及び発展途上国、第三世界に新しい常任メンバーとしての機会が与えられなければなりません。これが第一段階です。
第二に、世界の紛争に取り組み解決する効果的な方法、透明な意思決定です。
第三点、皆が呼びかけているものである、拒否権として知られる反民主的な仕組みの即時廃止です。安保理の決定に対する拒否権です。
最近の例を挙げさせてください。米国の不道徳な拒否権は、イスラエルが罰されずに、レバノンを破壊することを許しました。我々が呆然と見ている間に、我々の目前で、理事会の決議は妨げられました。
第四番目に、我々が常に述べてきたように、国際連合の事務局長の役割と権威を増加しなければなりません。

昨日事実上、〔アナン〕事務局長は別れの演説をしました。彼は過去10年間に、物事が更に複雑になったことを認めました。飢餓、貧困、暴力、人権侵害は一層ひどくなりました。これが国際連合という機構の瓦解と、米国の覇権的野心の途方もない帰結なのです。
我々の意見は、国際体系の改革や平和の探求および威厳を代弁する独立した声なのです。
この惑星の覇権的な勢力の迫害や攻撃性を非難する声。帝国は真実を恐れており、独立した声を恐れています。それは我々を過激派と呼ぶのですが、彼らが過激派なのです。
以上全てに加えて、議長、そこには楽天的になる理由があると私は思います。
詩人ならば「救いようのない程に楽天的」と言うでしょう。なぜなら、戦争や爆弾や侵略及び予防戦争、また民族の破壊とは別に、新しい時代の夜明けを人は見ることができるからです。この時代は心を生み出しています。そこには異なる思考の仕方があります。異なる考えを持つ若者達がいます。
パックス・アメリカーナ〔米国の力による平和〕と、資本主義の新自由主義世界体制について現在我々が成さなければならないことは、世界の将来を定めることです。あらゆる所で夜が明けています。それをアフリカで、欧州、中南米やオセアニアで見ることが出来ます。私は楽観的な展望を強調したい。
我々は我ら自身を、交戦する意思を、我らの認識を強化しなければなりません。
我々は新しく又より良い世界を築き上げなければなりません。ベネズエラはその闘争に加わります。これが我々が脅される理由です。米国は既にベネズエラでクーデターを計画し、出資し、着手したことがあり、ベネズエラやその他の場所でクーデターの試みを支援し続けていますが、ベネズエラはテロリズムや暴力と戦うために、完全に専念しています。
我々は平和のために戦う人々の一人です。人は別の時代の幕開けを目撃するのです。15カ国グループ 〔G15〕、非同盟首脳会議は歴史的な決議を採択しました。これがその結果としての文書です。心配ご無用、読みはしませんから。
そしてここにいる全ての人に私が要求することがあるとすれば、我が友よ、我が兄弟姉妹よ、それは新たな時代の幕開けのための非同盟運動に勢いを与える、あなたの善意を与えてほしい、と頼むことです。覇権を妨げ、帝国主義の更なる前進を止めるために。
この文書とともに、これらの発案とともに、これらの批判とともに、私は私のファイルを閉じます。あの本も持っていきます。そして、忘れないでください。これを私は皆さん全てに、熱心に又謙虚にお勧めします。
我々は我々の惑星を救うアイディアを必要としています。帝国主義の脅威からこの惑星を守るために。そして望むところは、この世紀に、そう遠くない時に、我々はそれを、この新たな時代を目の当たりにするでしょう。そして我々の子供達と我々の孫達に、国際連合の、一新された国際連合の基本原則に則った平和な世界を。
神よ我ら全てを祝福したまえ。良い一日を。

2009年6月13日土曜日

鳩山辞任と今の政治家の大変さ


鳩山(弟)が辞任した。
昨日の夕方の出来事であるにもかかわらず、様々なニュースが面白おかしくマスコミによって報道されていますが、何が正しくて何が真実なのか?といった単純な問題ではない上に、殆どの政治家の行動は表面的な発言内容とは無関係だろうと容易に推測出来ます。

簡単に言ってしまうと、「郵政民営化=改革路線」の西川社長であっても、「国民の皆様のための民営化」という抽象的な幻想のために運営しているのではなく、営利を追求する為に行動している訳で、
一方の鳩山(弟)にしても、「正義を貫く為」に政治的な行動を起こしているわけではないことをはっきりを理解しておく必要があると思う。
うがった見方をすれば、行く末が見えている自民党に対して、正義を貫くと言う大義名分の下に勇ましく立ち回ることの方が遥かに多くのメリットと選択肢を持つことが出来るだろう。

誰がどう言おうと少なくとも現状の政治家とはそんなものだ。
ただ、政治家は政治家で大変な時代に入ってきていることも事実で、鳩山辞任とは全く無関係なおもしろい新聞記事がありました。

以下、要約します。
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政治と経済は不可分なので、経済を見る上で政治は無視できない。
そうであるからこそ、偉大な宰相が出てきて日本を引っ張っていって欲しいが、現実はなかなか難しそうだ。
ではなぜこんなに政治はこんなに難しいのだろうか?そこで、現代の政治をめぐる権力の強さと弱さを整理すると2つの見方に分かれるということが見えてくる。

第一は、議会制民主主義の現代では、有権者や世論の監視の下で権力が弱体化しているという見方。
これはどういうことかと言うと、政治家が起こしたアクションそのものが常に有権者によって監視されているので、(色々な人が色々な視点や考え方を持っている中で、)どうでも良さそうな些細なことでも、際限なくバッシングされる傾向が強まっており、大胆な発想で大胆な行動がなかなかおこせない。また、その声を効果的に代弁する各種のマスメディアを通じて強まるという特性を持っている。

第二は、民主主義体制であるにもかかわらず、技術革新や行政の肥大化など様々な要因によって、いや応無しに権力強大化が進んでいくと言う見方。
これに関しては第一の問題とは逆に、例えば官僚国家的な視点に立つと民主主義ではありながらも、強大な行政組織が構築されていて、政治家が行使できる権力が巨大化している。

この異なる2つの見方の存在は、現代政治の難しさを示している。政治権力が弱体化と巨大化という全く矛盾した2つの方向性を持ってしまった点こそその難しさがある。
現代の優れた政治とはこの2つの相矛盾する状況に対応する能力があることを意味している。
これからの政治家は、弱いイメージをまとって正当性を持つ面と、強い力を行使して正当性を持つ面との両面を的確に見極めて使い分ける知的習慣を身につけなければならない。
この時代ほど政治を職業とする人々にとってやりにくい時代はないだろう。政治家が消耗品になりかけているのである。


以上が主旨ですが、一見すると何やら小難しい内容なのですが、簡単に言ってしまうと、一般市民が口うるさくなってきたし、マスコミまで含めると、とことん監視されていて、ホンのちょっとしたことですぐ足元をすくわれる。
逆に、官僚は大きな権力を持っていて、それを使いこなすのも政治家の大きな役目なので、これもまた荷が重い。あたまの良いお役人さんは“ああ言えば、こう言う”タイプの典型なので、コントロールするのはホントに大変だと思います。
だから現代の政治家って本当にしんどいよね?っていう記事でした。

結局のところこういった見方は政治家に留まらず、かなり多くの人達が抱える問題のような気にもなってきています。




2009年6月6日土曜日

いわゆる足利事件の判決記事が興味深い。

このニュースの 概要は以下の通り。

平成2年の足利事件で殺人罪などに問われ、無期懲役が確定した元幼稚園バス運転手、菅家利和さん(62)について、東京高検が4日、菅家さんのDNA型と女児の下着に付着した体液が一致しないとする再審請求即時抗告審での再鑑定結果を認め、釈放することを決定した。
これをうけて、菅家さんは同日午後、千葉刑務所から釈放された。関係者によると、再審開始決定前の受刑者に検察当局が釈放を認めた前例はないとみられる。

菅家さんは、こんなコメントをしています。
「当時、急に犯人にされました。自分としては全く身に覚えがありません。無実で、犯人ではありません。これだけははっきりと言います」改めて無実を主張しています。
また、警察、検察に対しても、「間違ったでは済まない。この17年間ずっと思っていた。当時の刑事、検察官には謝ってもらう。絶対に許すことはできない。自分の人生を返してもらいたい。父も母もつらかったと思う」と怒りをあらわにした。

そりゃあそうでしょうよ。
本当に無実でこんな目にあうとなると、悔しさは想像を絶するものでしょう。
しかし、そこで敢えて個人的に思うことは、日本の警察は・・・国家権力を背景とした、ある意味で厳密で厳格な仕事をキチンと積み重ねてきて来たんだと思う。
それは、時として毅然とした態度であり、ぶっきらぼうであり、融通が利かない人格であったり、行き過ぎていたり・・・
しかし別の側面として、それゆえに優秀で世界に誇る成果を挙げて来たのだととも・・・。
そして、この菅谷さんにしてみれば、明らかにこの構図の犠牲者だったんだろうと。

こういう、ある意味で厳格過ぎて融通の利かない部分(仕事ぶり)が時代遅れになった時、つまり、そういったやり方や考え方が否定され過ぎる傾向になった時、言い換えると、容疑者の人権に対して最大限に配慮することを求められるようになった時、どういう社会になるのかは、ある意味で見えてくるような気もします。
容疑段階であったしても、人権云々を取り上げすぎると、かえっておかしな世の中になってしまうかも。普通の一般市民はどちらの傾向を望むのか?こういうこともしっかりと議論しておいた方が良いと思う。

ただ今回の事件のことだけをいえば、明らかにDNA技術の問題と、司法制度の腰の重さの問題であり、警察の問題は取調べ段階で一方的に決め付けて暴行を行なったというアナログな点だけかもしれない。
初期段階で800人に1人の精度でDNAを鑑定できていたのだから警察も自白させることに力が入るのも当たり前のような気もする。
お気の毒でしたでは済まされない悲劇ではあることに異論はないが、「絶対に許しません!」と言い切られると、「800人に1人と言えども、それなりの精度だったし、仕方なかったと言い切れる!」と言い返したい気持ちも少しは分かる。

2009年6月4日木曜日

天安門事件から20年 北京は厳戒態勢

中国で民主化運動が武力弾圧された天安門事件から4日で20年がたつと聞いて、その時間の流れの速さに正直ビックリしています。


添付の写真は、天安門事件当時にCNNが撮影した画像で、活動家の若者が戦車の前に立ちはだかっている写真で、事件当時にCNNが撮影した画像だそうです。
天安門事件は私が20代後半に起こった事件なのですが、その当時の中国は、少なくとも私達若者の中では全く話題にもならなければ、意識すらしない国でした。


多分その理由は、戦前戦後の歴史教育をまともにうけてこなかった当時の日本人の若者にとって、(それは今の若者も同じですが・・・)語るべき情報が殆ど準備されてなかったことと、そんな国のことを意識するより前に、憧れのアメリカカルチャーのキャッチアップで一生懸命だったからだと思う。
音楽もファッションもカルチャーも、「自分達の生活に取り入れて追いつきたい!」と考えてる若者にとって、「中国の若者の民主化活動を共産党政府に弾圧された!」と聞いても、正直ピンときませんでした。

しかし、これだけ中国の国力が増大し、歴史が広まり、否が応でも避けて通れない国になった今、この話題に関して、非常に高い関心が集まるのは当然のように思います。

結論から言ってしまえば、超大国になろうとしている中国は、経済こそ市場経済に移行して行っているが、民主化というレベルで考えると、議会制民主主義とは程遠い国で、20年前と何一つ変わっていないということは、その根底になにか底知れない不気味なマグマを秘めた暗黒大陸のような気すらします。

現時点で事件を報じる中国メディアはないらしく、北京では大勢の警官が配置されるなど厳しい警戒態勢が敷かれているそうです。

北京の天安門広場では4日朝、通常通り、日の出とともに国旗が掲揚されて、広場は観光客に開放されているけど、おびただしい数の警官が目を光らせて、厳しい警戒態勢となっているそうで、中国メディアも事件について一切触れていないというのもスゴイ!

あるメディアは、民主化を求める学生運動に理解を示した為に失脚して、今も民主化運動のシンボルとなっている故・趙紫陽元総書記の自宅への取材を試みたが、警官に阻まれ、認められなかったそうです。この趙紫陽元総書記は、私も記憶に残っています。かなりの親日家だったそうです。

北京市民は「(Q:20年前に何があったか知っていますか)20年前ですか…知りません」「(Q:天安門事件をどう思う?)そのころはまだ小さかったので」と、事件について口を閉ざしているらしいです。天安門事件は、犠牲者の数が当局の発表(319人)と、政府関係者の証言(727人)が大きく食い違うなど、20年たった今も事件の全体像は不明なままとなっています。

ちなみに我が家の中で「Free Tibet」のTシャツ姿を頻繁に見かけるのですが、今度は天安門Tシャツとか着られるとちょっと怖い。

2009年5月30日土曜日

ブログ再開!

「TOEIC対策が忙しくてブログを休んでいます。」という口実は何だか言い訳めいていていたのと、「やっぱり更新して欲しい」という声もちょくちょく聞くので、あまり頻繁ではなくなるかもしれませんが、再開させてもらいます。

・・・という訳で気になった記事としてこんなのがありました。

北朝鮮が2回目の核実験を行なった上に短距離ミサイルの発射まで何回もやっているけど、一体どうしたんだろう?という素朴な疑問でありながら、一歩間違えると大変なことに発展しかねない問題が大きなニュースになっている。
金正日(キム・ジョンイル)総書記の体調が急激に悪化しているので、後継者問題や国内問題の解決に焦っているのだろうというのが一般的な論説。

もう少し具体的にいうと、対イラク問題など、対外政策ではあれほど強硬なブッシュ前政権も、北朝鮮にはかなり甘かったが、その後のオバマ政権も、(アフガニスタンは別として)対話を中心に外交を進めるとメッセージしていて、北朝鮮にとっては、やっとアメリカとの対話が実現しそうな状況にはなったけど、キム総書記の体調問題で焦っているにもかかわらず、オバマ政権も国内の経済問題でそれどころじゃないという事情が重なって、焦りに焦っているというのが真相ということらしい。

今、日本は先頭に立って国連安保理での制裁決議を進めているけど、日本もアメリカもすでに経済制裁をおこなっているので、中国が経済制裁に踏み切らない限りは実質的な意味がないという状況なので、アメリカは中国と秘密裏に交渉をするだろうと言われている。
一体、日本の存在感がこんなに薄いのはなぜ? 逆に無法者の北朝鮮の存在感がこんなに高いのはなぜ? 国際社会では謙譲の美徳はあり得ない?・・・なんてコトを考えたりします。


話は変わるけど、個人的には北朝鮮のスタンスも分るような気もする。
NPT(核兵器不拡散条約)は、第二次大戦の戦勝国、つまり米、英、仏、中、露の5ヵ国だけには核兵器の保有を認めるが、他の国々には認めない。5つの国は、核兵器を持っていても信頼でき、少なくとも他国に売ったり、テロの手に渡したりはしないが、それ以外の国は信用できないので持つなというのがNPTだ。
ところが、現実にはインドが持ち、パキスタンも持っている。おそらくイスラエルも持っている。
「強者搾取の論理で、世界を無茶苦茶にしているのはお前らの癖に、そのおまえらにそんなことを言われる筋合いはない!」というのが北朝鮮の言い分かな?

この論理は、特許もそうだし、CO2排出規制も同類の議論ですね。

ただオバマ大統領が先月?  過去に核を使用した唯一の核保有国であるアメリカが、「核廃絶に向け、核軍縮をやっていこう」と宣言したことは、画期的だと思う。 

核を使用した唯一の核保有国アメリカによって核をあびせられた唯一の国が日本だから、日本こそが、世界に向かって核廃絶を訴える一番の資格を持っている。というあたりをキーワードにグイグイ引っ張る政治家はいないものかな?

2009年4月4日土曜日

新年の目標・・・再確認「DUO 3.0」


気がつくと2月からブログが更新できていませんでした。
サボったと言うことはないのですが、新年の目標に掲げたTOEIC800点以上の目標を達成する為に少ない時間をどのように配分して挑戦しようかと考えていました。
やはり、まずはさび付いた単語力の強化が最優先だといういうアドバイスもあり、この2ヶ月はこの「DUO 3.0」にどっぷり漬かって、業界誌や雑誌以外の他の本を読むこともなく、ひたすら集中していました。

「単語はたくさんの文章に触れる中でおぼえていくべきだ」という主張がありますが、 それは正しいととは思うのですが、必須単語を網羅するだけの文章に触れ、 かつおぼえていくのは至難の業ですし、そもそも時間的な制約もあって無理でした。
それができる人ならいいのですが、 難しい人は単語集で短期的に集中して単語を覚えていかないと追いつきません。
DUOはさすがに有名なだけあって、必須単語をカバーしながら、ひとつの文で多くの単語が覚えられるので、 教材としては合理的でした。 DUOに限らず、単語を覚える教材については、繰り返しやることが大切ですが、やはり時間がないのがキビしい。
次のステップは基本熟語の再確認ですが、この調子だと試験対策に入る前に後3ヶ月は必要な感じ。

2009年2月14日土曜日

「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」

「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」
ハーバード・ビジネススクール・プレス (Harvard business school press) (単行本)
ニコラス・G・カー (著)

内容の要約は以下の通り。
「ITの重要性は低下している」。かつてのITは、ライバルに対して優位に立つために活用できるような専有技術であったが、今では、「競争に参加するすべての企業が共有するインフラ技術」へと姿を変えた。もはやコモディティ(必需品)となった情報技術への投資は無用だとして、全米で大きな論争を巻き起こした問題の書がついに邦訳。・・・ということらしいです。

著者について
ニコラス・G・カー
ダートマス大学で博士号を、ハーバード大学で修士号を取得。1997年から2003年にかけて、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の上級編集者を務める。現在は、ビジネス・ライターとして、経営戦略・情報技術やその相互関係などを主なテーマに執筆活動を展開している。


中身の前にまずタイトルが「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」といった刺激的な邦題なのですが、オリジナルは「IT Doesn't Matter」なので、直訳すると「ITは(もはや)重要ではない。」くらいの意味で、少し誤解を生みやすいと思いました。
下手をすると「ITにお金を使うことを(全面的に)止めなさい」と言っているように読めまずが、筆者が主張しているのは、「IT投資は今までより慎重であるべき」というごく穏当なことなのでした。

私が読んだ感想としては、思ったよりもまともなことをかなりシンプルに真面目にまとめていると思う。

・ ITの技術はこれからも発展していくが、必要以上のITへの投資はリスクを招くだけだ。
・ 90年代半ば企業はこぞってITに投資したが、生産性の向上に寄与したというデータはほとんどない。
・ ITはもはや電気や鉄道と同じ社会のインフラと化し、持っているだけで競争優位なツールではない。
・ ITを利用した新業種、新サービスは出尽くした。もうこれ以上産業を根底から変える力は残っていない。
・ ITは金食い虫。企業のIT支出は買手(企業側)の利益のためというより、売手(ベンダー側)が戦略として煽り立てた結果だ。

従って、

・ 支出を抑える。(闇雲にIT投資しない。)
・ 高い最先端は必要ない、十分にいきわたった汎用的な技術で十分)
・ 「先頭に立たずに、後からついて行く」(一番は何せ高くつく、マイクロソフトはいつも人まねで高収益を上げているいい例)
・ 「革新はリスクが小さいときに行う」(機器やソフトの変更は大きな変化が終わってから行うのが良い)
・ 「チャンスより脆弱性に注目する」(情報漏えいやウイルスの被害を受ける確立はチャンスより断然大きく、かつ甚大な被害を受けることが多い)


個人的な結論として、
まずビジネス戦略があって、次にそれに沿った業務改革方針があって、最後に改革を実現するツールのひとつとしてITを位置づけるという、言われてみれば至極あたりまえの主張なのですが、 良くわからないIT用語と、そこから生まれてくる幻想に踊らされ続けてきた経営陣の歴史が終わろうとしているのを感じ取れます。
この未曾有の経済情勢の中で、当たり前のことに立ち返る企業が増えることを期待します。

2009年2月1日日曜日

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)

ウェブ進化論
本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)
梅田 望夫 (著)

今、読もうとして手元に同じ作家が書いた2冊の本があります。
ニコラス・G・カー
・「クラウド化する世界」と
・「ITにお金を使うのはもうおやめなさい」です。

IT業界に身を置きながら激変するIT環境の中で、敢えて新しいITの進むべき流れを提言していると言うことで興味を持ちました。まだ読んでいませんが、この内容に関しては面白ければご紹介させてもらいます。
さて、なぜこの2冊の本を読んで見たくなったのかには伏線があります。
シリコンバレーでビジネスコンサルタントを営む梅田望夫氏が書いてベストセラーになった「ウェブ進化論」などが主張する、最新の技術で新しい世界が切り開かれていく的なことを言っている事に対してのアンチテーゼだという書評を読んだことがきっかけです。
個人的にも、この手の本のもしくは人の主張がいかがわしく思えて仕方ありません。敢えて例えるなら、金融資本主義における金融テクノロジが大いなる幻想であったことを実体経済としての金融破綻が証明したように、インターネットで集合知を活用すれば未来は明るいというレトリックは相当にいかがわしいものだと直感的に感じています。

この本の中では、「日本だけでも数千万、世界で見れば10億以上の不特定多数の人達の知識をネット上で集約し進化させるためのテクノロジとしてのウェブの成長を凝視し、その社会的な意味を賞賛する。」というのが主旨です。
集団の知恵と呼ぶこの知力は、「インターネットの検索エンジンで何十億というウェブサイトをスキャンし、探している情報を発見できる。」というのは大きな進歩なのだが、これ自体が集合知といえるものだろうか?
例えば、ブログ空間では「カリスマ・ブロガ」と呼ばれる人達が出現して、何十万人と言う人達がそれを読み、彼らが「この本は面白い」と言えばベストセラーが生まれるという現象は、下手をするとナチス時代に大衆操作に応用されたものと殆ど同意語だと思う。つまり、多数派の主張の声が大きくなると、ばかばかしく思う少数派はますます沈黙を守るようになるというスパイラルによって「群集の知恵」ではなく、「群集の心理」にゆだねられると言う方向に進みはしないだろうか?
事実、世論の形成もマスコミの報道の内容に殆ど先導されているのではないだろうか?
自分自身で感じて考えることの大切さは人間の古来から持つ本質的で素朴な美徳であるはずなのに、「インターネット上での集合知による劇的な進化!」的なことを吹聴する人そのものが胡散臭い。

最後に、この本の書評を読んでいると面白いのがあったのでご紹介(少なからず手を入れました)。

この本の著者は、社会的に成功しているエスタブリッシュメント層が、技術のもたらす新しい思想や新しい社会形態に懐疑的であることに対して非難しているが、それはごく普通の良識ある大人のもつ、合理的な慎重さである。
シリコンバレー仕込みのオプティミズムといえば聞こえはいいが、この著者は単に批判精神を鍛えることを怠ってきたか、新事象に対するポジショニングを勘違いしている人間だろう。年齢やキャリアが、必ずしも人間を成長させていくとは限らない典型例でもある。このような大人が、経営コンサルタントとして意見を述べたり、ブログを書いたり、書物を著したりするのだから、恐ろしい話である。
 1970年代以降の若者を代表して言わせてもらうならば、これ以上、中学生が手にするかもしれない新書にこの程度のレベルの書物を出さないでもらいたい。著者は、せめて原理的にものを考える力を鍛えてから、そして社会のなかで声を出すことがどういうことなのかを吟味してから-まだ意欲があるのなら-もう1度挑戦してほしい。

2009年1月24日土曜日

意味がなければスイングはない

村上 春樹 (著)/文藝春秋

村上春樹の新刊で「ステレオサウンド」という専門誌に3ヶ月に一度の頻度で掲載されていたものを文庫本としてまとめたものです。
シダー・ウォルトン(jazz)、ルービンシュタイン(クラシック)、ブルース・スプリングスティーン(ロック)、スガシカオ(J-pop)といったジャンルをまたがった音楽家についてそれぞれ30ページほどに私感をまとめています。
表題タイトルは、スウィングしなけりゃ意味がない」というデュークエリントンのジャズの名曲をもじっていると思いますが、私が個人的に一番面白かったのは、ウィントン・マルサリスのところでした。
簡単に彼のプロフィールを説明すると、1961年ニューオリンズ生まれ。ジュリアード音楽院特待生というクラシックで鍛えた超絶技巧のテクニックで当時のJazz界に鮮烈なデビューを飾ったトランペッターです。1983年にはグラミー賞のジャズ部門とクラシック部門を同時受賞しています。その当時は同じトランペッターとしてマイルス・デイビスなどが全盛期を過ぎてはいるものの、まだまだ活躍していた時代で、そんな中でまさに彗星のように出現した天才児でした。

・・・しかし、村上春樹がこの本の中で語るには、「非凡でスリリングで知的なアプローチに満ちた彼の音楽は、どうしてこんなに退屈でたまらない音楽になってしまうのか?」と言うのがテーマです。ウィントン・マルサリスと一時期同じ音楽ユニットで活動していた大御所アート・ブレイキーはこうも語っています。「とにかく癇にさわるヤツだったな。音楽バカで融通が利かない。そしてとにかく皆を自分の音楽観でコントロールしたがる。ただしテクニックだけは恐ろしく冴えてたなあ」。

最終的に村上春樹の言いたいこととしては、「テクニック的に冴えないプレイヤーであっても、僕の心をどうしようもなく硬く掴んで、しばらく立ち上がれないくらいノックアウト状態の感動を与えてくれる人達はたくさんいる。魂でうったえるJazzという音楽はそういう風にして成立してきたんだ。」ということであり、最終的には、様々な経験や感動を通して形成される人間性の内側からにじみ出てくるものを音楽として表現できるアーティストになって欲しいと言う熱いエールをウィントン・マルサリスに送っています。

ところで、彼の1つ年上のソプラノサックス奏者である兄のブランフォード・マルサリスが個人的に私は好きです。彼も一時期、弟のウィントン・マルサリスのバンドに参加していましたが、数年で脱退し、そのあとでスティングのワールドツアーなどに参加しています。やはり、血のつながった兄弟であっても、ミュージシャンとして相容れない部分があったのでしょう。私がブランフォード・マルサリスを好きなのは、ソプラノサックスそのものが個人的に大好きな楽器だということもあるのですが、同じソプラノサックス奏者であっても、ケニーGのようにコマーシャリズムに魂を売り渡している演奏家とは本質的に表現の深みが違って、表現そのものに魂の鼓動が感じられるところです。
分かり易いところでいくと、このスティングとのワールドツアーくらいの時期に録音されたデュオですが、一聴すると誰でも吹けそうな簡単なフレーズであっても、こんなおまけみたいな録音の中でその深みが聴き取れます。

Police時代の名曲「Rozanne」をStingが彼とのデュオで演っています。
http://jp.youtube.com/watch?v=qVlu9BkszOk

 

2009年1月17日土曜日

チェ・ゲバラ 「チェ 28歳の革命」

映画は意外と頻繁に近くの映画館(シネマコンプレックス)で観ます。
でも、見るパターンは毎回ほぼ同じで、日曜日の夜9時前後から始まるLate Showに1人で行きます。

・・・と言うと、変なオヤジが一人で何しとんねん!のパターンを想像すると思いますが、現実は全く違ってて、人知れずかなりプライベートに観る事が出来ます。

車で10分くらいの距離なのですが、気が向いた時に自宅からネット予約して、シネコンのあるビルの地下2F駐車場に車を停めて、そのままエレベータで11F のシネコンフロアに出て、自動チェックイン機にIDとPWを入れ込めば発券してくれるので、そのまま小さな館内に入れます。不思議なことに、たとえパジャマ姿で観に行ったとしても、気にする必要もない状態です。

多分、次の3つの条件が重なっているからかな?
1.六甲アイランドというかなり人口密度の低い地域に映画館がある。
2.最近はシネマコンプレックスなので出来るだけ小さなスペースで個別の映画を上映する。
3.日曜日の夜9時は、そもそも人が少ないし、映画館そのものの照明は暗い。
ということで、今回も上映2日目にもかかわらず私を含めて観客は15人くらいでした。


さて、本題の「チェ 28歳の革命」ですが、
2008年度の第61回カンヌ国際映画祭で大絶賛を浴び、主人公を演じたベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞を受賞しています。
第一部「チェ 28歳の革命」は、“チェ・ゲバラ”という革命家の誕生の“生”を、
第二部「チェ 39歳 別れの手紙」は今なお謎の多い彼の“死”を描いたものらしいです。
「20世紀最大のカリスマ革命家」と言われているチェ・ゲバラですが、昔から非常に興味があって
機会があればじっくり伝記ものも調べて見たいと思っていた人です。
作品の面白さからいったら、断然後半部分にあたる「チェ 別れの手紙」の方らしいのですが、
そっちを楽しむにはちゃんと1部を見ないとチンプンカンプンだよという…映画評は知ってました。
しかしこの映画、キューバ革命とは何ぞや?というのをこの映画で知ろうと考えているような人には、ちょっとムズイ。歴史的な背景、全体像とかは、そんなに詳しく描写されず…革命の中でゲバラが何をしてたかに焦点が絞られている。
それこそ歴史を理解している人なんかは、すんなりとゲバラの人物像に入っていけるのかもしれないけど、人物像そのものの描き方も浅いので、いわゆる伝記のダイジェスト版みないな作品になっています。これのどこが評価に値するのか想像すら出来ないしろものでした。
それにしても最近の映画は酷い!
この1年でまともな映画を劇場で見た記憶がないくらい酷い。レッドクリフにしても然りで、監督なのかプロデューサーなのか知らないけれど、一体この映画をどういう人達に観てもらおうと思って作ったんだろうか?
しかも、本編の三国志の中で「赤壁の戦い」は確かに山場の1つではあるけど、三国志全体の大河ドラマの中で言うと5%に満たないボリュームかもしれない。
そして、それをレッドクリフとしてPart 1、Part 2 の2編に映画化し、しかもそれがヒットしたんであれば、その他の物語も次々と映画化し、壮大なビジネスモデルを考えているに違いない。
「StarWars」や「寅さん」「釣りバカ」を遥かに凌ぐおいしいシリーズになるのかも?・・・です。
映画というメディアが、テレビの娯楽番組の1つだと割り切って作品制作のレベルを設定しているとしか思えないです。
「昔は良かった」というのは言いたくないフレーズですが、明らかに映画と言うメディアでしか表現できなかった世界観を持っていたんですがねえ。
観る人が悪いのか、作る人が悪いのか、・・・・でもやっぱり第二部「チェ 39歳 別れの手紙」はきっと観に行ってしまうんだろうから、やっぱり自分が悪い!

2009年1月10日土曜日

世界と日本経済30のデタラメ (幻冬舎新書) (新書)


世界と日本経済30のデタラメ (幻冬舎新書) (新書)
東谷 暁 (著)
かなりしっかりした内容です。
著者はフリーのジャーナリストで事実を緻密に検証した分析には定評があるそうですが、耳障りの良い簡単なメッセージにすんなりと納得してしまうこと自体が大問題だと言っています。
ただでさえ複雑な事象が絡み合っている世界経済において、多少難解な分析であっても、キチンと納得のいく理解をしていないと、デタラメに振り回されてしまうとの警鐘には大賛成です。

内容は以下の通り。
未曾有の危機に陥った世界経済。元凶は、ヒト・モノ・カネの歯止めなき自由化で世界を投機市場に変えた、経済のグローバル化であるのは明らかだ。
にもかかわらず、わが国のエコノミストや政治家は「サブプライム問題は決定的な原因ではない」「日本はまだまだ構造改革を進めるべきだ」「もっと公共投資を削り、公務員を減らし、民営化を進めるべきだ」などのデタラメを垂れ流す。

こういった30のデタラメに対して、緻密なデータ分析とロジックで徹底論破しています。
マスコミの流すニュースの背景に本当はもう少し深く考ええなければならないことがたくさんあることを気づかせてくれました。

いまさら聞けない「世の中」のしくみ (新書)

TV&新聞&ネットで目にする経済の疑問―いまさら聞けない「世の中」のしくみ (新書) 神樹 兵輔 (編集), 21世紀ビジョンの会 (編集)

「日本経済50の大疑問」と同じようなテーマなのですが、こちらの方がもう少し客観的にコンパクトなものでした。
これで面白かったのは、「貧困大国アメリカ 」のところです。
貧困層は最貧困層へ、中流の人々も尋常ならざるペースで貧困層へと転落していく。
急激に進む社会の二極化の足元で何が起きているのか。

追いやられる人々や弱者を食いものにし一部の富者が潤ってゆくという世界構造の中で、それでもあきらめず、この流れに抵抗しようとする人々の「新しい戦略」とは何か。

日本でも非正規労働者が全労働者の3分の1を占めるまでになり,働いても働いても人間らしい暮らしができない人々が急増しています。
世界経済が失速し,企業の業績が急激に悪化し,非正規労働者の突然の解雇が連日マスコミで報道されています。
雇用,社会保険(雇用保険,健康保険,厚生年金,労災など),公的扶助という3つセーフティネットが機能していなければ厳しい世界になってきています。
ホントに難しい時代に入ってきました。

日本経済50の大疑問 (講談社現代新書) (新書)

日本経済50の大疑問 (講談社現代新書) (新書) 森永 卓郎 (著)

デフレ、不良債権、構造改革、国債暴落、ペイオフ対策、中国の脅威……日本経済はなぜダメなのか?いくつかのテーマについての著者独自の視点で解説&コメントしていますが、その中でも特に面白かったテーマはこれです。



・不良債権はなぜ、いつまでたっても増えつづけるのか?
・アメリカは本当に市場主義で強くなったのか?
・日本の経済政策は誰の意見で決まっているのか?
・「中国の脅威」に日本の製造業は対抗できるのか?
・経済成長は、本当にしなければならないのか?

著者の論点としてはかなり一貫していて、若干抜粋しますが、以下の通りです。

経済に底はなく、無限に落ちていく可能性がある。
もしも、意図的に落としていこうと思ったら、いくらでも落ちていくし、最終的にはゼロになるまで落ちるというのが基本的な特徴だと言える。
この底割れの恐怖を理解していない人が、信じられないほどたくさんいるのが、悲しいことに日本の現状だ。
日本経済の景気の底が割れてしまうかどうかについては、これから先の経済政策がカギを握っているが、政府も多くの識者たちも、基本的には「市場原理主義」の立場でこれからの経済の舵取りを行おうとしている。
彼らのコンセンサスは、効率の悪い企業をどんどんつぶさなければ日本経済は立ち直れない、だから不良債権処理を断行して、強い企業だけを残していこう、ということだ。
その改革が遅れれば遅れるほど、日本経済の回復は遅れる。しかし、本当にそうなのだおうか?私はまったく間違っていると思う。
--------------------------------
それほど目新しい論点でもなかったのですが、「経済成長は、本当にしなければならないのか?」というのが著者の結論のように受け取れました。

20年前の経済と比較して、1人当たりのGDPは飛躍的に増加したけど、「幸せ指数」って、あまり変わってないよなあということに疑問を持って以前このブログでコメントしました。
「2008年7月19日「アジアで最も豊かな国」から転落した日本・・・どう思う? 」http://yamadaprivate.blogspot.com/2008/07/blog-post_19.html


結局、市場原理主義というか経済成長至上主義に大きな疑問を持っているという著者ですが、その代わりとなる指針に関しても明確に提案してもらえるともっと良かったなあ・・・と思いました。

また、余談ですが、数年前に読んだ本ですが、
もうひとつの日本は可能だ (文春文庫) (文庫) 内橋 克人 (著)
と論調はほぼ同じです。小泉構造改革による行き過ぎたアメリカ型資本主義への批判と人間が尊重される社会の実現を提言する。価値観は共有できます。

新年の目標・・・三日坊主にならないために。

2009年

米国の金融資本主義のメカニズム破たんを発端にした世界的な経済危機の本格的な波及が容赦なく進む年になりそうです。
そのような未曾有の状況の中にあって色んなことを考えさせられた年末年始ですが、会社も生き残っていく為に必死になっていろんなことに「Challenge !」する年になるでしょうし、その強い気持ちで取組めば「Tes, We Can !」だと言うことも信じたいです。

一方で、プライベートな生活においても何らかの目標を立てたいなあと思いましたが、あまり大きすぎる目標は挫折の元なんで、ほどほどに実行出来そうなものを3つだけ目標としてピックアップしました。
これらはあくまでもプライベートでの目標だけど、仕事の目標はかなり大きなところに置いているので、今年中にすべてが達成できるかどうかはあまり自信なし!
  • その1 お酒は少しだけ控える!
アメリカでは悪名高き「禁酒法」(Prohibition law)は、「酒を飲む奴は仕事も出来ん」とかいわれて1919年憲法が修正されたことにもとづき制定されたそうです。
アルコール飲料の製造・輸送・販売・所有が一切禁止されましたが、「暗黒街の帝王」と言われたギャング・スター「アル・カポネ」が、地下の大密造組織を作りました。まさに映画「ゴッドファーザー」の舞台裏です。
一応、会社のお付き合いでは飲みますが、必要以上には飲まん!と言うだけの話です。飲んでしまうと、その後で本も読めなければ、音楽もまともに耳に入らなくなる!ので、それで1日が終わってしまう。

  • その2 TOEIC 800点くらい!
今までこのテスト受けたことないけど、出来るだけ趣味や読書の時間を削って挑戦してみようと思う。800点くらいのガイドラインは、「どんな状況でも適切なコミュニケーションができる素地を備えている。」ということらしく、
「通常会話は完全に理解でき、応答もはやい。話題が特定分野にわたっても、対応できる力を持っている。業務上も大きな支障はない。正確さと流暢さに個人差があり、文法・構文上の誤りが見受けられる場合もあるが、意思疎通を妨げるほどではない。」
ここまで言われると800点の目標値はちょっとキツイかも!
まずは、CD付きテキスト2冊を買い込みました。

  • その3 水泳1000メートル20分以内!
単純に25メートルプールで換算すると30秒なんで、そんなん小学生中学年程度の速さやんか!と言われればそれまでですが、「飛び込みなし&ターンあり」なんで、25メートル30秒ペースを40本続けるのは個人的にはかなり厳しいのが現状。メタボ克服のためには「とびうおターン」のマスターが必須。