2010年6月17日木曜日

とりあえず「ウォーキング」

約1年ちょっと前から出来るだけ電車を使わずに通勤することにしています。
阪急京都線の「十三」から「南方」までの1駅。
淀川の堤防に上がって、堤防沿いを約3キロ、早足で30分。
しんどい時は止めるし、雨の時も歩かない。

朝の堤防はいろんな人が散歩している。
川べりのテント生活者のおっちゃん達の朝げの煙も見える。
テント生活なのでホームレスとは呼ばないでおこう。
ちょっとした野菜なども育てている気配がある。
まさか、釣りをして魚を取ったりはしていないだろう。

夜は夜で、川面に大阪のささやかな摩天楼が反射して、それなりの雰囲気がある。
正面に見えるのが梅田周辺なので一番の高層ビル群のはずだが、やっぱり大阪は
ちっこいね。

この写真、堤防の同じ場所からの昨日の「朝」と「夜」です。
朝はちょっと曇っててかすんでますが、天気のいい日はさわやかです。
そんなこんなでウォーキング続けてますが、夏場が近付くと汗びっしょりになり
ます。
これも「メタボ対策」と考えて気負わずに続けます。

2010年6月14日月曜日

「はやぶさ」帰還、宇宙探査に新領域 より遠い天体へ道開く

何だかやりきれない閉そく感が漂っていたこの頃でしたが、

これはホントに感動的なニュースだった。



【以下、ちょっと抜粋】
ついに地球に帰還した探査機「はやぶさ」。
小惑星からの試料採取に成功したかどうかはカプセルを開けるまで分からないが、世界で初めて小惑星への往復飛行を成し遂げたことで、日本の宇宙技術のレベルの高さを世界に示した。
「はやぶさ」は、2003年5月に地球を出発。05年11月に地球から3億キロメートル離れた小惑星「イトカワ」に着陸し、砂などの採取を試みた。
小惑星に軟着陸したのは史上初だった。

しかし、軟着陸後に燃料漏れで制御不能になり、通信も完全に途絶した。
奇跡的に復旧し、07年に地球への帰路についたが帰還は年遅れとなり、劣化の激しい電池やエンジンでぎりぎりの運用が続いていた。


なかなか感動的なニュースだとは思いませんか?
相次ぐトラブルを乗り越えたドラマ性もあったと思うけど、科学プロジェクトとして、これまでにない盛り上がりも見せていて、インターネット上で「はやぶさ」を支援するブログや掲示板もかなりたちあがっているらしいです。
それから、7年間の旅路を描いた映画も各地の科学館で上映されているそうなので一度見たいものです。
このプロジェクトの責任者がテレビのインタビューに答えていた話で面白いコメントがありました。
「事業仕訳で省くことだけに集中するのではなく、良い物(プロジェクト)を見出すための仕分けもして欲しい。」・・・的な内容でした。

「はやぶさ」とは別に、燃料なしで太陽の光の圧力を受けて飛行する宇宙ヨット「イカロス」も帆を広げることに成功していて、現在、地球から約800万キロ離れた宇宙を金星に向かって飛行しています。

多くの人々の想像すらできないところで膨大な金融搾取がおこっているウォール街の金融工学や、表面的には正当に装っている武器製造貿易経済などではなく、こういった純粋な科学技術を武器に人類の未来を切り拓くプロジェクトには溜飲が下がります。















2010年6月4日金曜日

鳩山しゅしょ~。辞めた。

あまり政治の話はしたくないですが、
鳩山首相辞任で菅さんが新しい首相になりました。
鳩山さんの、いわゆる政治家らしくないところに大きな期待をしていました。
普通では想像出来ないような「あっ!」と驚く展開(大どんでん返し)があるだろうと。

・・・しかしなかった。

辞任翌日の東京はこの季節にしては雲ひとつないスカッとした晴天でした。
そしてその朝のコメントは、「この天気のようにスッキリと晴れ晴れしい気持ちです。」でした。
この人は異次元の人だったのです。

例えば実業のビジネスの世界で、
「これをやるんだ!」という志を持って起業した起業家は、
大きな困難にぶつかっても全力で立ち向かうでしょう。
時には、自分の個人資産を担保に銀行から借入をしなくてはならないことも多々あります。
また、親や親せきや知人に連帯保証人になってもらわなければならないことも多々あります。
そんなことや、あんなことが色々とあって、起業家はとにかく全力で困難に立ち向かいます。

一方で政治家も同様に、表面的には1億数千万人の未来を背負って、全身全霊で取り組みます!と言いきります。そしてそのフリもします。

さて、その起業家が全力で困難に立ち向かい苦闘したとしても、必ずしも成功する訳ではありません。
その事業(志)を諦めるとき、すなわち会社が倒産するとき、担保としていた家や財産は処分されるし、連帯保証となっていた親や親せきや知人も同様に財産を処分されることになるケースも多々あります。
その申し訳なさから、自分の命を生命保険というお金にかえますので、せめてもの返済の足しにして下さい。・・・という話も良く聞きます。
せめて命で!とまでは思わないまでも、そんな時、この起業家の気持ちは「この天気のようにスッキリと晴れ晴れしい気持ちです。」
であるはずはありません。
道半ばで志を諦めざるを得なかったこの2人の結末の違いは一体何なんだろう?

全国民の未来を託したこの総理大臣が志を諦めるとき、
このような諦め方(手放し方)を国民が許し続ける限り、
この国の政治に魂は入り込まないだろう。
そして、国民も決して幸せにはなれないのではないかと絶望的な気分にすらなります。
国民が本当に期待している政治家はこういいう人達なんだろうか?