2008年7月5日土曜日

あまりに辛かった「イニシエーションラブ」



速読が苦手な私としては、駄作にあたってしまうと、すぐに投げ出してしまうことも多いのですが、この「イニシエーションラブ/乾くるみ」のあまりのお粗末さに開いた口がふさがらなかったので・・・。
本屋の店頭POPと本の帯に『必ず二回読みたくなる小説』とあったし、まあまあ有名なこの作家「乾くるみ」でもあったので、気軽に読み始めました。
恋愛小説としてはあまりに稚拙な文体とストーリー展開に呆れて、「や~めた!」と、いつもの通りに10分おきに投げ出そうとしましたが、
トリックのある展開というのも分かっていたので一応最後まで読み通しました。はっきり言って苦痛でした。
そのトリックに関しては奇をてらったものではあったんですが、確かに素直に感心しました。しかしながら、恋愛小説としては、あまりにお粗末過ぎる著者の力量にビックリです。「二回読みたくなる。」は、トリックを確認する為に読み返すのであって、二回読みたくなるほどの内容ではなかったということでしょう。どうでもいい一冊なのですが、今どきこの程度で話題になったこと自体が驚きでした。

小説に限らず、映画や音楽、絵画に至るまで、その本質的な価値について、そこに何を求めるかによって評価が全く違ってきます。
多分、音楽で言えば、素晴らしい音楽は誰が聴いても素晴らしいと感じるものだと思うのですが、その素晴らしさのレベルがどの程度の素晴らしさなのかを理解できる人と出来ない人の間には天と地ほどの感動の質の違いがあるように思います。
ただし、それを理解出来るようになる為には、聞き手としてのその為の努力がなければ成立しません。
例えば、この音楽は「誰それのどの時期の音楽をどのように展開させて何を目指しているか?」と言うような歴史的背景的な意義を理解できてこそ、本質に迫れると思います。
一言で「このワインおいしいよね。」といっても、そのおいしさが2000円のおいしさなのか30万円のおいしさなのかが理解できなければその感動はどうしても表面的なものになってしまうと思うのです。

直木賞作家の開口健さんが、知ってしまった以上、どうしても「あの時のあれ」と比較してしまうことに関しての良し悪しについて、「知の悲しみ」と言う言葉を使っていましたが、ソクラテスの「無知の知」の対極にある考え方ですね。
・・・しかしまあ、それにしてもこの「イニシエーションラブ」は、煮ても焼いても食えんでしょう。

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