2009年2月14日土曜日

「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」

「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」
ハーバード・ビジネススクール・プレス (Harvard business school press) (単行本)
ニコラス・G・カー (著)

内容の要約は以下の通り。
「ITの重要性は低下している」。かつてのITは、ライバルに対して優位に立つために活用できるような専有技術であったが、今では、「競争に参加するすべての企業が共有するインフラ技術」へと姿を変えた。もはやコモディティ(必需品)となった情報技術への投資は無用だとして、全米で大きな論争を巻き起こした問題の書がついに邦訳。・・・ということらしいです。

著者について
ニコラス・G・カー
ダートマス大学で博士号を、ハーバード大学で修士号を取得。1997年から2003年にかけて、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌の上級編集者を務める。現在は、ビジネス・ライターとして、経営戦略・情報技術やその相互関係などを主なテーマに執筆活動を展開している。


中身の前にまずタイトルが「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」といった刺激的な邦題なのですが、オリジナルは「IT Doesn't Matter」なので、直訳すると「ITは(もはや)重要ではない。」くらいの意味で、少し誤解を生みやすいと思いました。
下手をすると「ITにお金を使うことを(全面的に)止めなさい」と言っているように読めまずが、筆者が主張しているのは、「IT投資は今までより慎重であるべき」というごく穏当なことなのでした。

私が読んだ感想としては、思ったよりもまともなことをかなりシンプルに真面目にまとめていると思う。

・ ITの技術はこれからも発展していくが、必要以上のITへの投資はリスクを招くだけだ。
・ 90年代半ば企業はこぞってITに投資したが、生産性の向上に寄与したというデータはほとんどない。
・ ITはもはや電気や鉄道と同じ社会のインフラと化し、持っているだけで競争優位なツールではない。
・ ITを利用した新業種、新サービスは出尽くした。もうこれ以上産業を根底から変える力は残っていない。
・ ITは金食い虫。企業のIT支出は買手(企業側)の利益のためというより、売手(ベンダー側)が戦略として煽り立てた結果だ。

従って、

・ 支出を抑える。(闇雲にIT投資しない。)
・ 高い最先端は必要ない、十分にいきわたった汎用的な技術で十分)
・ 「先頭に立たずに、後からついて行く」(一番は何せ高くつく、マイクロソフトはいつも人まねで高収益を上げているいい例)
・ 「革新はリスクが小さいときに行う」(機器やソフトの変更は大きな変化が終わってから行うのが良い)
・ 「チャンスより脆弱性に注目する」(情報漏えいやウイルスの被害を受ける確立はチャンスより断然大きく、かつ甚大な被害を受けることが多い)


個人的な結論として、
まずビジネス戦略があって、次にそれに沿った業務改革方針があって、最後に改革を実現するツールのひとつとしてITを位置づけるという、言われてみれば至極あたりまえの主張なのですが、 良くわからないIT用語と、そこから生まれてくる幻想に踊らされ続けてきた経営陣の歴史が終わろうとしているのを感じ取れます。
この未曾有の経済情勢の中で、当たり前のことに立ち返る企業が増えることを期待します。

2009年2月1日日曜日

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)

ウェブ進化論
本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)
梅田 望夫 (著)

今、読もうとして手元に同じ作家が書いた2冊の本があります。
ニコラス・G・カー
・「クラウド化する世界」と
・「ITにお金を使うのはもうおやめなさい」です。

IT業界に身を置きながら激変するIT環境の中で、敢えて新しいITの進むべき流れを提言していると言うことで興味を持ちました。まだ読んでいませんが、この内容に関しては面白ければご紹介させてもらいます。
さて、なぜこの2冊の本を読んで見たくなったのかには伏線があります。
シリコンバレーでビジネスコンサルタントを営む梅田望夫氏が書いてベストセラーになった「ウェブ進化論」などが主張する、最新の技術で新しい世界が切り開かれていく的なことを言っている事に対してのアンチテーゼだという書評を読んだことがきっかけです。
個人的にも、この手の本のもしくは人の主張がいかがわしく思えて仕方ありません。敢えて例えるなら、金融資本主義における金融テクノロジが大いなる幻想であったことを実体経済としての金融破綻が証明したように、インターネットで集合知を活用すれば未来は明るいというレトリックは相当にいかがわしいものだと直感的に感じています。

この本の中では、「日本だけでも数千万、世界で見れば10億以上の不特定多数の人達の知識をネット上で集約し進化させるためのテクノロジとしてのウェブの成長を凝視し、その社会的な意味を賞賛する。」というのが主旨です。
集団の知恵と呼ぶこの知力は、「インターネットの検索エンジンで何十億というウェブサイトをスキャンし、探している情報を発見できる。」というのは大きな進歩なのだが、これ自体が集合知といえるものだろうか?
例えば、ブログ空間では「カリスマ・ブロガ」と呼ばれる人達が出現して、何十万人と言う人達がそれを読み、彼らが「この本は面白い」と言えばベストセラーが生まれるという現象は、下手をするとナチス時代に大衆操作に応用されたものと殆ど同意語だと思う。つまり、多数派の主張の声が大きくなると、ばかばかしく思う少数派はますます沈黙を守るようになるというスパイラルによって「群集の知恵」ではなく、「群集の心理」にゆだねられると言う方向に進みはしないだろうか?
事実、世論の形成もマスコミの報道の内容に殆ど先導されているのではないだろうか?
自分自身で感じて考えることの大切さは人間の古来から持つ本質的で素朴な美徳であるはずなのに、「インターネット上での集合知による劇的な進化!」的なことを吹聴する人そのものが胡散臭い。

最後に、この本の書評を読んでいると面白いのがあったのでご紹介(少なからず手を入れました)。

この本の著者は、社会的に成功しているエスタブリッシュメント層が、技術のもたらす新しい思想や新しい社会形態に懐疑的であることに対して非難しているが、それはごく普通の良識ある大人のもつ、合理的な慎重さである。
シリコンバレー仕込みのオプティミズムといえば聞こえはいいが、この著者は単に批判精神を鍛えることを怠ってきたか、新事象に対するポジショニングを勘違いしている人間だろう。年齢やキャリアが、必ずしも人間を成長させていくとは限らない典型例でもある。このような大人が、経営コンサルタントとして意見を述べたり、ブログを書いたり、書物を著したりするのだから、恐ろしい話である。
 1970年代以降の若者を代表して言わせてもらうならば、これ以上、中学生が手にするかもしれない新書にこの程度のレベルの書物を出さないでもらいたい。著者は、せめて原理的にものを考える力を鍛えてから、そして社会のなかで声を出すことがどういうことなのかを吟味してから-まだ意欲があるのなら-もう1度挑戦してほしい。