2009年2月1日日曜日

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)

ウェブ進化論
本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) (新書)
梅田 望夫 (著)

今、読もうとして手元に同じ作家が書いた2冊の本があります。
ニコラス・G・カー
・「クラウド化する世界」と
・「ITにお金を使うのはもうおやめなさい」です。

IT業界に身を置きながら激変するIT環境の中で、敢えて新しいITの進むべき流れを提言していると言うことで興味を持ちました。まだ読んでいませんが、この内容に関しては面白ければご紹介させてもらいます。
さて、なぜこの2冊の本を読んで見たくなったのかには伏線があります。
シリコンバレーでビジネスコンサルタントを営む梅田望夫氏が書いてベストセラーになった「ウェブ進化論」などが主張する、最新の技術で新しい世界が切り開かれていく的なことを言っている事に対してのアンチテーゼだという書評を読んだことがきっかけです。
個人的にも、この手の本のもしくは人の主張がいかがわしく思えて仕方ありません。敢えて例えるなら、金融資本主義における金融テクノロジが大いなる幻想であったことを実体経済としての金融破綻が証明したように、インターネットで集合知を活用すれば未来は明るいというレトリックは相当にいかがわしいものだと直感的に感じています。

この本の中では、「日本だけでも数千万、世界で見れば10億以上の不特定多数の人達の知識をネット上で集約し進化させるためのテクノロジとしてのウェブの成長を凝視し、その社会的な意味を賞賛する。」というのが主旨です。
集団の知恵と呼ぶこの知力は、「インターネットの検索エンジンで何十億というウェブサイトをスキャンし、探している情報を発見できる。」というのは大きな進歩なのだが、これ自体が集合知といえるものだろうか?
例えば、ブログ空間では「カリスマ・ブロガ」と呼ばれる人達が出現して、何十万人と言う人達がそれを読み、彼らが「この本は面白い」と言えばベストセラーが生まれるという現象は、下手をするとナチス時代に大衆操作に応用されたものと殆ど同意語だと思う。つまり、多数派の主張の声が大きくなると、ばかばかしく思う少数派はますます沈黙を守るようになるというスパイラルによって「群集の知恵」ではなく、「群集の心理」にゆだねられると言う方向に進みはしないだろうか?
事実、世論の形成もマスコミの報道の内容に殆ど先導されているのではないだろうか?
自分自身で感じて考えることの大切さは人間の古来から持つ本質的で素朴な美徳であるはずなのに、「インターネット上での集合知による劇的な進化!」的なことを吹聴する人そのものが胡散臭い。

最後に、この本の書評を読んでいると面白いのがあったのでご紹介(少なからず手を入れました)。

この本の著者は、社会的に成功しているエスタブリッシュメント層が、技術のもたらす新しい思想や新しい社会形態に懐疑的であることに対して非難しているが、それはごく普通の良識ある大人のもつ、合理的な慎重さである。
シリコンバレー仕込みのオプティミズムといえば聞こえはいいが、この著者は単に批判精神を鍛えることを怠ってきたか、新事象に対するポジショニングを勘違いしている人間だろう。年齢やキャリアが、必ずしも人間を成長させていくとは限らない典型例でもある。このような大人が、経営コンサルタントとして意見を述べたり、ブログを書いたり、書物を著したりするのだから、恐ろしい話である。
 1970年代以降の若者を代表して言わせてもらうならば、これ以上、中学生が手にするかもしれない新書にこの程度のレベルの書物を出さないでもらいたい。著者は、せめて原理的にものを考える力を鍛えてから、そして社会のなかで声を出すことがどういうことなのかを吟味してから-まだ意欲があるのなら-もう1度挑戦してほしい。