2009年1月24日土曜日

意味がなければスイングはない

村上 春樹 (著)/文藝春秋

村上春樹の新刊で「ステレオサウンド」という専門誌に3ヶ月に一度の頻度で掲載されていたものを文庫本としてまとめたものです。
シダー・ウォルトン(jazz)、ルービンシュタイン(クラシック)、ブルース・スプリングスティーン(ロック)、スガシカオ(J-pop)といったジャンルをまたがった音楽家についてそれぞれ30ページほどに私感をまとめています。
表題タイトルは、スウィングしなけりゃ意味がない」というデュークエリントンのジャズの名曲をもじっていると思いますが、私が個人的に一番面白かったのは、ウィントン・マルサリスのところでした。
簡単に彼のプロフィールを説明すると、1961年ニューオリンズ生まれ。ジュリアード音楽院特待生というクラシックで鍛えた超絶技巧のテクニックで当時のJazz界に鮮烈なデビューを飾ったトランペッターです。1983年にはグラミー賞のジャズ部門とクラシック部門を同時受賞しています。その当時は同じトランペッターとしてマイルス・デイビスなどが全盛期を過ぎてはいるものの、まだまだ活躍していた時代で、そんな中でまさに彗星のように出現した天才児でした。

・・・しかし、村上春樹がこの本の中で語るには、「非凡でスリリングで知的なアプローチに満ちた彼の音楽は、どうしてこんなに退屈でたまらない音楽になってしまうのか?」と言うのがテーマです。ウィントン・マルサリスと一時期同じ音楽ユニットで活動していた大御所アート・ブレイキーはこうも語っています。「とにかく癇にさわるヤツだったな。音楽バカで融通が利かない。そしてとにかく皆を自分の音楽観でコントロールしたがる。ただしテクニックだけは恐ろしく冴えてたなあ」。

最終的に村上春樹の言いたいこととしては、「テクニック的に冴えないプレイヤーであっても、僕の心をどうしようもなく硬く掴んで、しばらく立ち上がれないくらいノックアウト状態の感動を与えてくれる人達はたくさんいる。魂でうったえるJazzという音楽はそういう風にして成立してきたんだ。」ということであり、最終的には、様々な経験や感動を通して形成される人間性の内側からにじみ出てくるものを音楽として表現できるアーティストになって欲しいと言う熱いエールをウィントン・マルサリスに送っています。

ところで、彼の1つ年上のソプラノサックス奏者である兄のブランフォード・マルサリスが個人的に私は好きです。彼も一時期、弟のウィントン・マルサリスのバンドに参加していましたが、数年で脱退し、そのあとでスティングのワールドツアーなどに参加しています。やはり、血のつながった兄弟であっても、ミュージシャンとして相容れない部分があったのでしょう。私がブランフォード・マルサリスを好きなのは、ソプラノサックスそのものが個人的に大好きな楽器だということもあるのですが、同じソプラノサックス奏者であっても、ケニーGのようにコマーシャリズムに魂を売り渡している演奏家とは本質的に表現の深みが違って、表現そのものに魂の鼓動が感じられるところです。
分かり易いところでいくと、このスティングとのワールドツアーくらいの時期に録音されたデュオですが、一聴すると誰でも吹けそうな簡単なフレーズであっても、こんなおまけみたいな録音の中でその深みが聴き取れます。

Police時代の名曲「Rozanne」をStingが彼とのデュオで演っています。
http://jp.youtube.com/watch?v=qVlu9BkszOk