2010年6月4日金曜日

鳩山しゅしょ~。辞めた。

あまり政治の話はしたくないですが、
鳩山首相辞任で菅さんが新しい首相になりました。
鳩山さんの、いわゆる政治家らしくないところに大きな期待をしていました。
普通では想像出来ないような「あっ!」と驚く展開(大どんでん返し)があるだろうと。

・・・しかしなかった。

辞任翌日の東京はこの季節にしては雲ひとつないスカッとした晴天でした。
そしてその朝のコメントは、「この天気のようにスッキリと晴れ晴れしい気持ちです。」でした。
この人は異次元の人だったのです。

例えば実業のビジネスの世界で、
「これをやるんだ!」という志を持って起業した起業家は、
大きな困難にぶつかっても全力で立ち向かうでしょう。
時には、自分の個人資産を担保に銀行から借入をしなくてはならないことも多々あります。
また、親や親せきや知人に連帯保証人になってもらわなければならないことも多々あります。
そんなことや、あんなことが色々とあって、起業家はとにかく全力で困難に立ち向かいます。

一方で政治家も同様に、表面的には1億数千万人の未来を背負って、全身全霊で取り組みます!と言いきります。そしてそのフリもします。

さて、その起業家が全力で困難に立ち向かい苦闘したとしても、必ずしも成功する訳ではありません。
その事業(志)を諦めるとき、すなわち会社が倒産するとき、担保としていた家や財産は処分されるし、連帯保証となっていた親や親せきや知人も同様に財産を処分されることになるケースも多々あります。
その申し訳なさから、自分の命を生命保険というお金にかえますので、せめてもの返済の足しにして下さい。・・・という話も良く聞きます。
せめて命で!とまでは思わないまでも、そんな時、この起業家の気持ちは「この天気のようにスッキリと晴れ晴れしい気持ちです。」
であるはずはありません。
道半ばで志を諦めざるを得なかったこの2人の結末の違いは一体何なんだろう?

全国民の未来を託したこの総理大臣が志を諦めるとき、
このような諦め方(手放し方)を国民が許し続ける限り、
この国の政治に魂は入り込まないだろう。
そして、国民も決して幸せにはなれないのではないかと絶望的な気分にすらなります。
国民が本当に期待している政治家はこういいう人達なんだろうか?